忘れていた失敗の記憶
何度も日記を書きかけて頓挫した経験は誰にでもあると思う。私は今では旅先でしか日記を書かない。
新潟でお世話になった友人から、興味深いことを聞いた。彼女の友人の話だ。もう半世紀以上欠かさず日記をつけているというのだが、長く続く秘訣は、感情ではなく出来事を書くということ。その人は自分の日記をよく読み返し、自分がいつ何をしたか、誰と会ってどんな話をしたかなど、よく覚えているのだそうだ。
なるほど。想いを寄せた誰かから連絡が何日も来ない、などとぐずぐずと愚痴を連ねた自分の文章など、何年も経てば恥ずかしいだけで、読み返す気など毛頭起きない。私が今、旅行中だけ日記をつけていられるのは、普段よりやること、起きることが多く、それだけを書いていけばページが埋まるからなのだろう。
魚沼市にある西福寺(さいふくじ)は、室町時代後期(1534年)に開かれた曹洞宗の寺。必見は幕末に活躍した「越後のミケランジェロ」とうたわれる石川雲蝶の手による開山堂の天井彫刻。音声ガイドを聴きながらじっくりと鑑賞できる。
雲蝶は仁王像、本堂の襖絵など、多くの作品を寺に残している。
新潟に行く数日前、埼玉の家族と足利にドライブに行ったときのこと。家の近くまで帰って来て、母と妹が「ここにあった着物のお店なくなっちゃったね」と言い出した。
ふうん、と聞いていた私は、「ほら、ここで着物を買ったら何度でもタダで着付けをしてくれて。お姉ちゃんも行ったじゃない」と言われ、そうだったっけ、と記憶を手繰る。案山子のように両手を横に挙げて誰かに着付けをしてもらっている姿は思い浮かんでも、どこだったかは定かではない。
それから車の中で母と妹は、こんなことを言い出した。
私が神戸に住んでいたとき、つまり2000年ごろのこと、私は中学時代の友人の結婚式に出席するため、新幹線で実家に帰り、着物を着て、つまり最近なくなったその店で着付けをしてもらって結婚式場へ赴いた。ところが結婚式の日取りを一週間間違えていたのに気づき、すごすごと実家に戻ってきたというのだ。
「結婚式、次の週だからよかったよね。お姉ちゃん今度は夜行バスで神戸から来て、洋装で結婚式に行ったんだよね。」
まったく記憶にない。
結婚式自体のことは覚えているのに、日付を間違えた云々のことはきれいに記憶から消し去られている。母と妹はこんなにもはっきり覚えているのに、こんなことでいいのだろうか。
思いがけずに突きつけられた昔の失敗談について、この日の日記に書いたかどうか…それもすでに覚えていない。
実家の近くの大池のある公園も紅葉がきれいだった。
地元の中学校の近くで竹ぼうきを発見。誰が落ち葉をはいているのだろう。