隣の家の小型犬アーチ―の吠えざまには凄まじいものがある。Fierce とか agressive という形容詞がぴったりだ。小さい身体からよくこんなに大きな声が出るものだと感心してしまう。

アーチ― Archie は室内犬で、よく家の前の通りが見える部屋にいる。20センチほどの窓枠に寝そべって外を眺めている姿はとても愛らしい。だが、犬や猫が道を通ると猛烈な勢いでワンワンと吠え出す。誰かが自分の家の玄関に近づいても同じである。

私も夫も以前玄関先でアーチ―に吠えられたことがあったが、お隣さんは「あの人たちはとってもいい人たちだから吠えちゃだめだよ」とうまく言いくるめたそうで、今はアーチ―の座る窓に近づいて手を振っても興味のなさそうな目で見返され、ときには見向きもされない。そのつれない感じもまた魅力的で、いやもう私たち夫婦はアーチ―の虜である。

ビション・フリーゼに似た犬種? アーチ―はときどきお隣の裏庭でうろうろし、鳥や猫やキツネなどの「姿は見えないが気配がする敵」に向かって咆哮する。今も夫が洗濯物を干しにわが家の裏庭に出たら一瞬吠えられた。

私もご多分に漏れず、YouTubeでいろいろな動物の癒されビデオをついつい観てしまうが、日本の動画を観てどうしてもまだ違和感を感じるのは、大の大人が子どもと話しているわけでもないのに「ワンコ」「ワンちゃん」「ニャンコ」などと犬や猫を呼ぶことだ。

昔なら「飼い主と家畜(ペット)」という主従関係のようなものがあったが、今やペットは家族の一員だ。もっと言うと、いつまでも世話が必要なかわいい赤ん坊のように扱われている。「エサをやる」ではなく「ご飯をあげる」と人間と同等の扱いに昇格した。だから動物名の「犬」や「猫」と呼ぶと距離感がある気がして、もっと親しみやすい「ワンコ」だの「ワンちゃん」だのと呼ぶのだろう。

先日、アーチ―を散歩させている隣の奥さんと仕事からの帰り道で会った。アーチ―は私の足下をふんふんと嗅ぎまわり、おとなしくしている。

「アーチ―は何歳になりますか」「もうすぐ 2歳になるのよ」「じゃあほとんど成犬ですね」「そうね、もうこれ以上は大きくならないわね」など、アーチ―話に花が咲く。

今度の休暇にどこに行くかという話題になり、私が「旅行先だとアーチ―の声を聞くことがないから、ちょっとさびしくなるんですよ」と言うと、奥さんは「でも、いつもうるさくないかしら」と聞いてきた。

「いえ、全然。That’s his job. 犬だから吠えるのは当たり前でしょう」と私が力強く言うと、「I know, he is a good guard dog. そうなのよ、いい番犬なのよ」と奥さんは相好を崩した。

確かにアーチ―の吠え声は、日本の住宅地に住んでいたら絶対にうるさいレベルの大きさだ。近所から苦情が出てもおかしくない。でも犬としての性質がそうさせているのであって、番犬としていい仕事をしているだけなのだ。

6月に母と妹がこちらに遊びに来たとき、そして先月ロンドンに住む大学時代の友人2人が泊まりに来たときには、アーチ―の吠え声が迷惑ではないかと少しだけ心配した。でも、なぜか吠え声はほとんどしなかった。わが家に客人がいると察して自粛したのだろうか、さすがアーチ―。

自分がかわいいことを絶対に自覚しているこちらの犬とは、2年前の一時帰国のときに恵比寿ガーデンプレイスで遭遇。「Happy Halloween」という服もお洒落に着こなしています。