何だかすごい映画を観てしまった。アイルランド語でラップをする3人組 Kneecap(ニーキャップ=「膝頭」の意味)の伝記映画だ。

2025年のアカデミー賞の国際長編映画部門にアイルランド映画代表としてから正式出品されることに。日本公開もありえるかも。

最近のアイルランド語(ゲール語)の映画といえば、日本でも今年初めに上映された『コット、はじまりの夏』(2022)がある。昨年アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされたりして話題になった。原題のアイルランド語のタイトルは An Cailín Ciúin で、英語訳は The Quiet Girl、静かな女の子。

主人公の女の子の名前は Cáit で、英語にすると Kate ケイトになる。日本語では「コット」としているが、このカタカナ語読み、あまりピンとこない。Cáit の発音は「コーイト」か「コイト」に近いと思う。

内気な9歳の女の子のひと夏の出来事を叙情的に描いたこの映画から一転、『Kneecap』(2024)は、『トレインスポッティング』(Trainspotting: 1996)のように、音にのった若者の叫びと躍動感にあふれた作品だった。伝記映画といってもほんの数年前に起きたことをかなり脚色していて、どこまでが事実かは想像するしかない。

受け身でやる気の出ない毎日を送る音楽教師が、自称「下等人間のクズ low-life scum」であるニーシャ Naoise とリーアム・オグ Liam Óg(Óg は英語のJr.)の二人とかかわりをもってしまうところから、この物語は始まる。

舞台は北アイルランドの首都ベルファスト。主人公の3人はアイルランド語を母語としている。アイルランド語(ゲール語)は英語とともにアイルランドの公用語だが、主にアイルランドの西部に散らばるゲールタハト Gaeltacht(アイルランド語地域)と呼ばれるところ以外では、日常的に話す人は少ない。北アイルランドでアイルランド語を主に話す人が約6000人いるということはこの映画で言及されるまで知らなかった。

彼らは北アイルランドの人口の0.3パーセントでしかない少数派で、当然、英語も操るバイリンガルにならざるを得ない。アイルランド語を使い続けようとするのはかなり面倒なことであり、つまり意志がないとやっていられない。この場合の意志とは、「アイルランド」対「イギリス」という縮図の中で育った彼らの「アイルランド語は自分たちの言葉だ」というアイデンティティの主張だ。

このようにかなり政治的な色も濃いのだが、それはそれとして、彼らが音楽に自分たちの居場所を見つけて徐々に若者たちの指示を得ていく過程を目の当たりにすると、今まさに動いている歴史の証人になっている気分さえしてくる。

メンバーの3人が実際の自分たちを演じている。演技の稽古は半年間したというが、本当に自然で、脇を固めるプロの役者に全くそん色がない。父親役で出ているマイケル・ファスベンダーがあまりにも見た目がよくて逆に浮いてしまっていたぐらい。

私が観た上映回は、アイルランド語だけではなく英語のセリフにも英語の字幕がつく回だったので大いに助かった。北アイルランドなまりの英語はそれでなくとも聞き取れないのだ。Peelers(ピーラーズ)という単語が何度も出てくるので夫にそっと聞いたら、警察のことだと教えてくれた。だから連発されているのね、と納得。

あとで調べたら、Robert Peel ロバート・ピールというイギリスの首相が1829年にスコットランドヤードにロンドン警視庁を開いてイギリス警察の基礎を築いたことから、イギリスの警察官は peelers と呼ばれるようになったそうだ。

映画を観るにあたって少しは予習をしておこうと Spotify で Kneecap の歌を聴こうとしたが、Allow explicit content という設定を変えて、露骨な表現を含む曲を流すことを可、としておかなければならなかった。

ヘッドフォンをした頭を揺らしながら、シティセンターを肩で風を切って歩いている人がいたら、それは Kneecap の歌を聴いている私かもしれない。