母と妹が3泊4日の日程でアイルランドに来てくれた。もちろん初めてではないのでダブリン観光は着いた日だけでおしまい。翌日はレンタカーで countryside へ向かった。

ダブリンから1時間半ほどドライブをし、夫の実家に寄って義母の用意した昼食をいただいた。新型コロナ以降ほとんどリモートワークをしている義兄も、テレビ会議のあとにおしゃべりにつきあってくれた。こうしてアイルランドと日本の家族が顔を突き合わせるのは17年ぶりになる。義母は「初めまして」という日本語を覚えていたが、残念、これは使えないシチュエーション。

クリームチーズのスモークサーモン巻き、地元で作られたブリーチーズ(カマンベールのような白カビタイプのチーズ)などのチーズボード、苺もアイルランド産。サンドイッチの具はレタスとトマト、マヨネーズであえた卵で、バターを塗ったパンによく合う。この「サラダサンドイッチ」はけっこう手が込んでいるため、誕生日など特別な日に食べることが多いらしい。夫は「懐かしい」と食べていた。

実家からまた1時間ほどのドライブをして、アイルランド中西部のクレア県にある中世の城、バンラッティ城と民芸村 Bunratty Castle & Folk Park に到着した。実はここ、私が初めてアイルランドを旅行した20代半ばのときに来ている。いつか再訪したいなと思っていて、母たちから特にリクエストがあったわけではないのに今回の日程に組み込んでしまった。

駐車場の向かいにあるバンラッティ城と民芸村の入口。中にあるモダンなギフトショップを抜けると民芸村が広がり、お城に通じる道にも出る。

民芸村には、学校や店、パブや農家など、19世紀のアイルランドの典型的な建物が30ほど点在し、どれも中に入って見学ができる。今でもこういう街並みは田舎によくありますけどね。

藁ぶき屋根の家が多い。これはかなり裕福な家。

暖炉にしつらえた日本でいう自在鉤(かぎ)のようなものは、夫の祖父母の家にもあったそうだ。

当時のパブの様子。1759年創業のギネスビールの宣伝が。

壁で囲まれたウォールドガーデン walled garden は、勾配を上ると眼下にきれいな景色が広がる。

民俗村には動物もたくさんいて、私も思わず大はしゃぎした。七面鳥や鶏は放し飼いになっているし、豚、ロバ、馬、山羊、鹿などはそれぞれ道の脇の囲いの中でのんびり草を食んでいる。去年このバンラッティ城の運営が民営から地方自治体に移管して以来、家族連れが何度来ても楽しめるように工夫を凝らしているらしい。

いったん近くの宿でチェックインを済ませて休憩後、夜にバンラッティ城に戻った。この城で65年も続いている中世晩餐会に出席するためだ。15世紀の宴を模したこの晩餐会でもてなされた客は、のべ300万人を超える。大人は一人72ユーロ(約1万2千円)で、生演奏と4つの料理からなるコースが楽しめ、ワインも好きなだけ飲めるので決して高くはないと思う。

**【バンラッティ城のミニ歴史】**もともとバイキングの交易地だったこの地に1250年にノルマン人が最初の防御要塞を建設。1425年ごろにマクナマラ家 MacNamara Family が現在も残る建築物を建てたが、数十年後には強力な氏族であるオブライエン家 O’Briens がこの辺りを支配して栄えることになった。1649年、オリバー・クロムウェルのアイルランド侵略によりオブライエン家は城と敷地を明け渡すことに。晩餐会が催されるこの城は、4つあった城の最後に残る1つ。その後いくつもの入植者の手を経たバンラッティ城だが、最後の Studdart 家は城を出て敷地内のより快適な屋敷に移った。その屋敷(バンラッティハウス)は現在は自由に見学することができる。荒れ果てるに任せてあった城は20世紀半ばに修復され、一般公開が始まった。

城に入るときに当時の衣装を身にまとった役者の一団(歌も歌えば給仕もして大活躍)に名前と出身地を聞かれる。このときのやりとりによって後の余興のゲストを選んでいたようだ。

まずはタペストリーの見事な大広間に通される。ハチミツを発酵させた醸造酒ハニーミード honey mead で乾杯。

その後、宴の行われる部屋に通され、決められた席に座る。食事の始まる前にこの城の伯爵の執事だという進行役の男性があいさつ。

部屋の中央のいい席に座れました。我々のとなりはカナダから来た姉妹。ジャーナリストの方は30年前に新婚旅行でこの晩餐会に参加したそうだ。だんなさんは今回はカナダでお留守番?

スプーンやフォークは出て来ず、自分の手で食べるのが「中世仕様」で面白い。野菜スープはボウルを手に取って口で飲み、次に出てきた豚肉のスペアリブは自分の手で引き裂いで食べた。あ、でも煮リンゴがベースのチーズケーキのデザートにはスプーンがついてきた。

夜8時半に始まった晩餐会は約2時間で幕を閉じた。各コース料理の前に必ず客の一人が「毒見」をさせられたり、若い男性客が罪を着せられ地下牢に入れられたりと、楽しい余興の度に場が沸いた。ハープとフィドル(バイオリン)の演奏や合唱が非日常の空間を上手に演出し、最後も一晩中大忙しだった役者たちがコーヒーを振る舞いながら見送ってくれた。

晩餐会のあとは宿でバタンキュー。翌朝おいしい朝食を食べてから、モハーの断崖のボートツアーなどをしてダブリンに夕方帰った。

何よりよかったのは、旅のあいだずっと晴天だったこと。車窓からの景色も楽しめ、母と妹は放牧されている牛や馬や羊たちを飽きずに眺めていた。二人は天気女だったのだろう、彼女たちがアイルランドを去った途端、小雨のぱらつくいつもの天気に戻った。