ダブリンの街角からニューヨークを見る
アイルランドに長く住むようになって、アメリカに対する印象がずいぶん変わった。日本から見るアメリカとヨーロッパから見るアメリカには少し隔たりがあるようだ。
日本の政治はアメリカの顔色をうかがってばかりだし、メディアはアメリカで流行るもの、話題になっているものを大きく取り上げる。先月、アイルランドの日本映画祭で『湯道(ゆどう』という映画を観たが、湯の道の指導者という設定の人物の箔をつけているのが「アメリカでこんなすごいことをした」ということだった。世界でも通用する日本の文化と言いたいのだろうが、何でアメリカばかり礼賛する必要があるのかと気になってしまった。それがなければもっと面白い映画だったんだけどなあ。
かたや、アイルランドでアイルランド人やヨーロッパ各国の人たちと長くつきあっていると、彼らがアメリカ人をかなり小ばかにしているのが感じられる。「アメリカ人は自分の国のことしか知らない」「単純でストレートな物言いしかしない」と思っている人が多いのだ。夫いわく、アイルランド人のユーモアのセンスは自分やものごとをおとしめてひねくれた物言いをすることなので、言葉どおりに受け取りがちのアメリカ人とはかみ合わない、とのこと。
私がダブリンでよく見かける典型的なアメリカ人は、自分主体でちょっと迷惑な人たちだ。おそらく先祖がアイルランドからの移民で、中高年になって初めてヨーロッパを訪れたのであろう人たちがダブリンの観光名所や店、レストランに大挙している。大声で話すので遠くからでも「アメリカ人がいる」とすぐわかる。店の中では商品を次々に手にとりながら感想を声にし、店員に「これいくら」「アイルランド産なの」と見ればすぐわかるようなことを聞く。アイルランドの人は店員と世間話はよくするが身の引き方を心得ている。対照的にアメリカ人は「トリニティ大学はどうやって行く」「タクシーはどこで拾える」と関係ないことまで聞いて時間をとる。こんな場面に遭遇すると思わずうるさーいと思ってしまう。
でももちろん、アイルランドにとってアメリカはとても大事な国だ。19世紀半ばのじゃがいも飢饉 Great famine のときには約100万人ものアイルランド人が国外に移民をしたが、その多くが北米に渡った。移民はその後も段階を追って続き、現在アメリカの人口の 9パーセントがアイルランド系だと言われる。歴代の大統領、俳優、スポーツ選手など、多くのアイルランド系アメリカ人がアイルランドをひいきにしているのはアイルランド人にとっても嬉しいことだ。
こういった歴史的な背景に加え、英語が公用語であるということ、法人税が低いこと、さらに教育水準が高く優秀な若い人材が集められるという理由から、Google や Meta、Microsoft、Apple などのアメリカ企業の多くがアイルランドをヨーロッパの拠点にしている。アイルランドの雇用や経済にこうしたグローバル企業の進出が大きく貢献している。
企業だけではなく、訪れた場所に気前よくお金を落としてくれるのもアメリカ人観光客。だから決して仏頂面ではなく愛想よく対応する。
こんなアイルランドとアメリカの「特別な関係」を象徴するような新しい観光名所が今月の8日にダブリンにできた。
五月晴れに恵まれた週末、オコンネル通りの The Spire スパイアという尖塔のモニュメントの近くにある店に行こうとしたら、大きな人だかりができていた。これはもしや、テレビなどでニュースになっていたあれに違いない、と近づいてみる。
ジェームス・ジョイス像の向こうにある丸いものは一体? デジタル画面が丸く縁取りされた彫刻、その名も「ザ・ポータル The Portal(入口、玄関)」。同じものがニューヨークにも設置されている。
ダブリンの画面で見えるのは、ニューヨークの五番街の街角。そこに置かれたポータルの画面をのぞき込んでいる人々が手をふっていたりする。晴天のダブリンは日曜の午後 1時半、雨のニューヨークは朝の 6時半。
ザ・ポータルの後ろ側はこんな感じ。ニューヨークのポータルからは、オコンネル通りにそびえる尖塔 The Spire と歴史ある建造物 GPO(中央郵便局)、そして活気のあるダブリンの光景が見えている。
このザ・ポータルを構想したのはリトアニアのアーティスト。「私たち人類には、お互いを隔てているもの以上に共有するものがあるという感覚」そして「地球という星のうえで全員が相互につながっているという意識」からアイディアが生まれたそうだ。数年の準備期間を経て、2021年にリトアニアの首都ビリニュスとポーランドの都市ルブリンを2つのポータルがつないだ。
そして2024年のダブリンとニューヨーク。ダブリンが 2024 Europian Capital of Smart Tourism という賞を受賞し、そのイベントのひとつとして秋まで設置されることになった。7月からはポータルのあるほかの都市とも接続されるようだ。日本とはつながらなさそうなのが残念。
24時間毎日デジタル画面が稼働しているはずだが、設置から一週間足らずでテクニカルな問題が起きたり、ニューヨークの人たちに向けて心のない仕草をする輩(やから)がいたりと、問題には事欠かない。今後数カ月、いたずらされたり壊されたりすることなく無事であってほしいと心から願う。個人のスマホの画面でも世界中と通信できるが、街の一部となったオブジェから、遠い異国の街角にたまたま居合わせた人たちとつながるって、ワクワクする特別なことだから。