子どものころ、空を飛ぶ夢をときどき見た。飛ぶというより、平泳ぎで水をかき分けるように空を泳いで進む夢だ。

私はクロールの息継ぎが苦手だった。平泳ぎがわりと満足にできるようになった小学校高学年のときから、空を平泳ぎで飛ぶ、いや泳ぐ夢を見るようになったのかもしれない。

夢の中では、まず地面に立っている状態から、ふいっと両手をのばして空をかき、それと同時に地面で足をけって体を浮かせる。それを宙で何回かくり返し、水のように体にまとわりつく空気を押しのけるように平泳ぎの動きで体を進ませる。

そうやって体を上空に推し進め、動きが軌道に乗ってくると、空気の重さは感じなくなる。足で大きく円を描くように空をかき、ける。そしてしゅぽーっと足を伸ばしたとき、空から下界を見る余裕が生まれる。

空から何が見えたのか、覚えていない。どことは特定できないありふれた町並み、家々の屋根や道路だったような気がする。

覚えているのは空を飛んでいるという高揚感だ。気持ちよく体を動かしながら空をかき進み、足を伸ばすタイミングでときどき休んで空に浮かぶひとときを楽しんだ。

夢から覚めたときにはまだその興奮が残っていた。でも、夢の中で運動をして少し疲れた体は十分に回復していて、頭もすっきりしていた。

去年の7月に撮ったダブリン城(写真左)と空。

「春眠暁を覚えず」と詠んだのは孟浩然(もうこうねん)という中国の唐の時代の詩人。『春暁(しゅんぎょう)』という詩の一節だ。

春の夜は短い上に、気候がよく寝心地がよいので、夜の明けたのも知らずに眠りこんで、なかなか目がさめないという意。『精選版 日本国語大辞典』

こんなにぐっすり寝られることは、最近少なくなったなあ。空を泳ぐ夢を見て、心地よく目覚めたい。