2月初め、1週間ほどアムステルダムに行ってきた。気温はダブリンと同じくらいで日中は10度程度、ほとんど雨が降らなかったので観光で歩き回るにはちょうどよかった。

コロナ以前の2019年には2千万人以上がオランダを訪れたという。アイルランドの倍近い数字だ。その多くがアムステルダムに観光にやって来ることは間違いない。地元住民が住みづらくなり、自然環境への影響も心配されるため、最近は観光客を制限する取り組みが進んでいるそうだ。

学校の世界史で習ったように、17世紀はオランダの黄金時代 Golden Age と言われている。16世紀末に東南アジア貿易に乗り出したオランダは、持ち帰った交易品で莫大な利益を得た。1602年に東インド会社が設立されるとオランダ商船は東南アジア貿易を独占し、香辛料貿易で富を築いていった。

フェルメールの作品で特に目を引くあの青の色はラピスラズリが原料だが、ラピスラズリは原産地のアフガニスタンからオランダ東インド会社によってもたらされた。レンブラントは一度もオランダを離れることなく異国の貝殻や動物のはく製などを収集でき、それが作品のインスピレーションにもなった。日本の和紙も手に入れてそれに絵を描いている。

ミュージアム広場の巨大なフライドポテト像から臨むアムステルダム国立美術館 Rijksmuseum(ライクスミュージアム)。10年もの改修工事を経て 2013年にリニューアル開館した。前回旅行に来たときには工事中だったので、今回初めて訪れることができた。

国立美術館の常設館 2階には、「名誉の間 Gallery of Honour」と呼ばれる広々とした展示室がある。その正面奥にはオランダの至宝であるレンブラントの絵『夜警』が展示されていて、常にどこかしら修復している様子も垣間見られる。縦 3.63、横 4.37メートルと巨大な『夜警』は厳密には国立美術館ではなくアムステルダム市が所有し、美術館に永久貸与をしているため、アムステルダムからは門外不出、と美術館の英語ツアーのガイドさんが教えてくれた。光と影の魔術師と呼ばれたレンブラントの傑作は、ここでしか見られません。

自画像の垂れ幕が目印の「レンブラントの家」。レンブラント・ファン・レイン Rembrandt van Rijn(1601-1669)が家族といっしょに20年近く住んだ家が博物館になっている。

レンブラントは大の収集家だった。ヨーロッパだけではなくアジアやアフリカから珍しいものを集め、ときには友人たちに披露していた。後年、財政が困窮しても彼はなかなか収集をやめなかったという。

建物の下層階はレンブラントの自宅、上層階はアトリエになっている。彼はこの家で何人もの弟子を指導した。

プロテスタント国で、堅実に働いて得た富は罪ではないという近代資本主義に通じる思想をもっていたことと、政治的、宗教的に母国から迫害されていた他宗教の人々や知識人などにも門戸を開いたことから、オランダは商業だけではなく科学、哲学、美術の中心地にもなった。

公共の場では禁止されていたカトリック教の信仰も、人の目につかずに隠れて祈っている分には容認されていた。そこで生まれたのが、外観は普通の家、でも内部は教会に改造した「隠れ教会」「屋根裏教会」なるもの。裕福な商人だったカトリック教徒がアムステルダムの邸宅に秘密に建てた教会が、今は Ons’ Live Heer op Solder(Our Lord in the Attic)という博物館になっている。家自体は400年前に建てられ、200年のあいだ教区教会として機能したアムステルダムの屋根裏教会の最後のひとつだ。

レンブラントの家のように、下層階は住居になっている。これは 19世紀の台所。遊んでいる子どもや動物をモチーフにした壁一面のタイルがかわいらしい。

狭くて急な木の階段を上っていくと、天井の高い空間に出る。「隠れ教会」なんていうからどれだけこぢんまりしているのかと思ったが、3階分の上層階を貫いて改修した立派な礼拝堂が現れて驚く。「アムステルダムで一番ロマンチックな結婚式」が挙げられると博物館のウェブサイトでうたっているが、本当にここで結婚式をしたというオランダ人カップルにも会った。

光あれば闇あり。ときの勢力をものとしてオランダは現在のインドネシア一帯、西アフリカや南アメリカなどに植民地を広げ、プランテーション農業、奴隷貿易を行った。オランダの繁栄の陰には多くの人々の犠牲があったのだ。「黄金時代」とは一方的な見方に過ぎない。

長くオランダに支配されたインドネシアが独立を果たしたのは1945年。その影響もあってか、アムステルダムにはアジア系のレストランも多い。スリナム料理という見慣れないレストランも目にしたので調べてみると、スリナム共和国は南米の北東にあるオランダの元植民地で、1975年に独立したが、公用語は今でも南米で唯一オランダ語だ。

オランダ料理レストラン Café restaurant van Kerkwijk にはメニューがない。ウェイターさんが英語で丁寧に本日の献立を説明してくれる。スターター、メイン料理はそれぞれ 3、4種類の中から選べるが、私たちはメインとつけ合わせのサラダとポテトを頼んだ。

夫のメインディッシュはサーモンにレンズ豆とチョリソーが載ったもの。私はインドネシア風煮込みチキン。濃厚なピーナッツソースとさくさくのエビせんべいがインドネシア風。

健康で新鮮な食事を提供するというポリシーの Foodware レストランに、私一人で立ち寄ってみた。

メイン、つけあわせ(サラダ)、それにライスかクスクスかマッシュポテトが選べ、皿に盛ってくれる。ヴィーガンのメニューも豊富。ここのチキンにもピーナッツソースがかかっていた。

オフシーズンでもアムステルダムの街中はかなり人が多かった。ちょうど中国の春節祭が近かったせいか、アジア人観光客はだいたい中国人か中華系の人たちに見えた。どこの土産物屋でも目につくのは、フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』、ファン・ゴッホの『ひまわり』や『花咲くアーモンドの木の枝』のデザインの商品だ。ダブリンのお土産の定番はシャムロック(アイルランドの国花、三つ葉のクローバー)をあしらったものやギネスビール関連商品、そしてアランセーターなどのニット製品だから、アート系が充実しているアムステルダムとは全然違うが、観光客目当ての商品があふれているのは変わらない。

今も昔も、私たちが享受している世界中から安く手に入るあらゆるモノやサービスの陰には、闇があるのだろうなと思った。

美術館が立ち並ぶミュージアム広場 Museumplein にあるギフトショップには、ファン・ゴッホに扮したミッフィーが。ミッフィー、いろいろな美術館や企業とコラボをしています。