また眼医者にかかることになった。ひと月ほど前、突然右目の調子がおかしくなったのだ。

朝いつものように仕事場のコンピュータを起動させると、画面に墨で描いた線のようなものがいくつか浮かび、それらが左右にゆらっと流れていった。変だなと思って画面から目をそらしたが、黒い線はまだうっすらと浮かんで見える。

少し時間が経つとそれらは半透明な雲かジェルのようになり、私が目玉を動かすといっしょに動いた。そのせいで視界もいつもよりモヤっとしている。

何人かの同僚に説明すると、「あ、floaters フローターだね」と言われた。飛蚊症のことだ。

飛蚊症はほとんどの場合特に問題はないそうだが、突然現れたので気になる。私は強度の近視なので、こと眼のことになると慎重だ。英語でオプティシャン Opticians と呼ばれるメガネを売ったり検眼をしたりする店に予約を取りつけた。

世界10数か国でチェーン展開をしている Specsavers Opticians & Audiologists。補聴器も扱っている。わが家から徒歩10分のショッピングモールに入っているので便利だ。

前回ここを訪れたのは4カ月前、コンタクトレンズの定期検診のときだ。今回私を担当してくれた検眼医は、名前とアクセントからしてスペイン出身と踏んだ。

「右目に floaters が突然出てきたし、何だか見えにくいんです」と伝えて検査をしてもらう。飛蚊症は時間が経つと慣れて気にならなくなるが、「右目の矯正視力 corrected vision が前回のときより落ちている」と言われた。スペインなまりの英語は、R と L の違いが私にははっきりと聞こえて理解しやすい。

検眼医は、「緊急ではないが、専門医に診てもらってください」と、専門医、つまり眼医者への紹介状を書いてくれた。このようにアイルランドでは、眼医者にかかるためには、かかりつけ医(GP)かオプティシャンに紹介状 referral letter を書いてもらう必要がある。面倒なのだ。

英語で眼科は opthalmology オフサルモロジー、眼医者は opthalmologist オフサルモロジスト。アイルランドでは th の発音は限りなくタ行に近くなるので、「オフタルモロジー」と聞こえる。私には重要な単語なのでがんばって覚えたが、英語ネイティブの人でも言いにくく、eye clinic アイクリニック、eye doctor アイドクターと簡単に言うことも多い。

十数年前になるが、眼圧が高めだったため眼医者に数年通ったことがある。そのときにお世話になったのは、東南アジア出身でアイルランド人と結婚をしている眼医者さんだ。同じアジア人ということで私は勝手に親しみを感じている。その先生の病院に予約の電話を入れたが、緊急ではないと言ったせいか、3週間先の予約になった。忙しいらしい。

翌週になっても症状は横ばいだったので、もっと早く診てもらえるところがあれば、と別の眼医者を探してみることにした。そして最初に電話をしたところが「明日の朝キャンセルが出た」と対応してくれた。何とラッキー。

初めて行く医院の待合室で、ドアにかかった医者の名前のプレートが目に入った。どこの国の名前か見当がつかない。その医院のウェブサイトの写真入りの「職員紹介」から、ブルガリア出身の若い女医だということがわかった。数年前に首都のソフィアに行った、あそこね。

医者はひととおり検査してから、「What you have is PVD」と診断を告げた。「PVD が何の略かはあとで調べたらいいけど、要するにね」と簡潔な英語で説明してくれた。眼球を満たしているジェルのようなもの(硝子体 vitreous body)が眼球の後部の網膜 retina からはがれてくるという現象で、多くの場合は飛蚊症を伴うそうだ。原因は加齢。近視の人は40代でも発症することが珍しくはなく、何と、治療法はないらしい。

彼女の英語はシンプルでわかりやすく、その場ですべて納得がいった。英語ネイティブの医者が相手だと、ぱーっと早口で説明されて何がなんやら、となることは多々ある。キーワードを紙に書いてもらっても、手書きの字が読めずに夫にあとで確認する羽目になることも。今回、医者が英語ネイティブの人でなくて助かった。

PVD とは posterior vitreous detachment の略で、これは覚えられるかどうか。日本語では「後部硝子体剥離(こうぶしょうしたいはくり)」。日本語でも頭に入ってこないなあ。

東南アジア人の眼医者にもセカンドオピニオンを求める形で診てもらった。その頃までには飛蚊症にだいぶ慣れ、「最後にこちらで診た5年前と視力はほとんど同じですよ」と言われて安心することしきり。

結局診断は同じで、「本当に治療法はないんですか」と聞くと、「Unfortunately, I can’t make you younger. 残念ながら、若くすることはできませんからねえ」と言われた。オプティシャンからの紹介状を渡すと、彼はメガネを外して目を細めて読んだ。私と同じだけ眼医者さんも歳を重ねていた。

お世話になっている opthalmologist のいる総合病院。ここに来るのは何か問題があったときだから、あまり頻繁には訪れたくないのだけれど。