セビージャのセマナ・サンタの行進に大興奮!
スペイン、アンダルシアの州都 Sevilla。ロッシーニの有名なオペラ『セビリアの理髪師』のように、昔は「セビリア」と表していたと記憶するが、最近はセビージャ、セビーリャとも記載されるよう。
英語では Seville セヴィール。スペイン語ではスペルは Sevilla で、エル L がふたつある語尾はカタカナで表記するには微妙な音で、「ジャ」にするか「ヤ」にするか迷うところだ。このブログでは「セビージャ」とすることにする。
私と夫がへレス、アルコスを経てセビージャに入ったのは復活祭の直前だった。復活祭(イースター)とはイエス・キリストが十字架に磔にされて処刑されてから3日後によみがえったことを記念する行事で、今年は4月9日(日)。年によって日が変動するが、毎年日曜日になる。
この記事のタイトルにある「セマナ・サンタ Semana Santa」は Holy Week 聖週間という意味で、復活祭の前の一週間のことを指す。この期間にはスペイン全土で様々な宗教行事が執り行われるが、その中でも、セビージャのパソ paso と呼ばれる日本の夏祭りの山車のようなものを中心とした行進(プロセシオン procesión)が有名だ。
学校も休みになるこの期間、プロセシオンを家族総出で見物したり行進に参加したりするのはセビージャ市民にとって一番大きな年中行事。国内外からプロセシオンを見に来る人も多く、街中が混沌に包まれる…とは聞いてはいたものの、実際はというと、いやもう、聞きしに勝る熱狂ぶりでした。
地下鉄駅の風景。セマナ・サンタの期間中、プロセシオンの通る地域のバスや路面電車は路線が変わったり運休になったりするが、セビージャに一本しかない地下鉄はほぼ平常通りの運行。かなりの混雑に臨時の職員が対応する。混雑した車内で「メトロ・ハポン!(まるで日本の地下鉄だ)」と何だかはしゃいでいた人がいたが、東京のラッシュアワーを知っている私にはまだまだ!
セビージャの旧市街に2011年にできた世界最大の木造の建築物 Metropol Parasol メトロポール・パラソル。「セビージャのキノコ Setas de Sevilla」という愛称で親しまれている。市場やレストラン、考古学博物館などが入り、展望台もある。
その「キノコ」から徒歩数分の小さなレストランで、キムチを使ったメニューもあるモダンなアンダルシア料理のタパスを楽しんでいると、何やら外が騒がしい。プロセシオン(行進)がやってきたようで、小路が人々で埋め尽くされているのがわかる。窓の下のテーブル席で食事をしていた人たちも外の写真を撮り始めた。
外に出てみるとすごい人。
小さな子どもにお菓子を配りながら行進をしている人もいるので、子どもたちもたくさん見物している。修道女たちにあいさつ。
プロセシオンに予期せず遭遇したが、店内にいたので行進自体はほとんど見えなかった。プロセシオンはセマナ・サンタ中、毎日数回あるので、とりあえず観光をしながら機会を待つことにした。
1929年にセビージャで開催された万国博覧会のために建設されたスペイン広場 Plaza de España の美しさは、まさに百聞は一見に如かず。映画『アラビアのロレンス』(Lawrence of Arabia:1962)や『スターウォーズ エピソード 2/クローンの攻撃』(Star Wars: Episode II – Attack of the Clones:2002)などの撮影でも使われた。
広場の一角にはフラメンコの一団がいて、ギター弾き、歌い手、ダンサー2人がショーの準備をしていた。
ちょうど階段の最前列に座れたので、至近距離で踊り手の息遣いと熱気を感じた。ショーは30〜40分ほどで一区切り。至福のひと時でした。
トリアナ市場 Mercado de Triana の一角で、考古学に精通する地元のアーティストにイスラムのモザイクタイルの作り方を教わった。その場所にぴったりのパーツ(タイル)を探すのがジグソーパズルのようで、あっという間に時間が過ぎていく。
できあがりはこんな感じ。家のどこに飾ろうかな。
トリアナ市場は地元民の台所。イスラム時代の城跡の一部に建てられた。
復活祭のころだけ食べられるお菓子、トリハス torrijas は、ハチミツたっぷりのスペイン版フレンチトースト。トリアナ市場のパン屋で売っていたものが一番おいしかった。
市場のすぐ近くの陶芸博物館へ。
博物館では現代の陶芸家の作品の展示会もあった。私が気になったのはこれ。よく見たら、セビージャ郊外に住む北原由紀子さんという日本人陶芸家の作品だった。椅子と石ころではなく、実は椅子の座る部分はカボチャ、椅子の足は豚のひづめで、650ものどんぐりが敷きつめられている。なるほど、アンダルシアはどんぐりを食べて育つイベリコ豚の産地として知られているからなー。
プロセシオンは、大きな十字架をもつ人々、楽隊、ナサレノ nazareno と呼ばれる教会の信者たちなどによって形成されている。セビージャの各教会からイエス・キリストやマリアの像を載せたパソ(山車)を運び出し、何時間もかけて旧市街にある大聖堂に向かい、そしてまた教会に帰っていく。大聖堂から遠い教会の場合は半日もかけてゆっくりと往復をすることになる。
ひとつのプロセシオンに数百人から2千人以上もいるナサレノは、長い三角帽をかぶり、顔も目以外はおおっている。サンタ・セマナのあいだ、プロセシオンに行く途中であろうナサレノに毎日すれ違った。その異様な姿に最初はぎょっとしたが、だんだん慣れてきた。
これから地下鉄に乗ってプロセシオンを見に行く若者たち。神聖な宗教行事なので、かしこまった格好をしている人が多い。
セビージャに数日滞在して少し土地勘がつかめてきたころ、この日にプロセシオンがあるサンタ・クルスという界隈で、行進が見物しやすそうなところを探してみた。小さな教会 Iglesia de San Nicolás de Bari の前で道が少し幅広くなっている辺りがよさそうだ。教会の戸は開いており、中に聖母マリア像を載せたパソ(山車)が見える。このパソはすでにプロセシオンを数日前に終えて大聖堂まで往復してきたそうだ。
考えることはみな同じで、簡易椅子を持参しサンドイッチをほおばりながら沿道を陣取る人たちがだんだん増えてくる。何も用意していない私たちの目に、教会の隣りにある大きな窓のあるバルが映る。「あそこから行進を見ようか」。
バルはまだ混雑してはいなかった。白ワインを頼むと、バーテンダーが「外に持ち出して飲んだらだめだよ」と身振りで言ってくる。はいはい、とうなずいてワインを片手に窓のそばに移る。すると隣にいた男性が話しかけてきて、テラス席などではない道端での飲酒は法律で禁止されており、それを容認しているような店は営業停止にもなりかねないのでバルのスタッフは注意しているんだと教えてくれた。
ここにも人々が集まり始めてきたが、この場所は譲らんぞ、と立ち位置を固める。そうこうしているうちに、ドラム、そしてトランペットの音色が聴こえてきた。行進が近づいてきたようだ。
写真左が私たちが入ったバル Bar。右が教会。
バルには聖母マリアの写真が。聖母マリア信仰の篤いセビージャではあちこちでこうしたポスターを見る。手前のカウンターにある大きなハムもバルの定番。
プロセッション(行進)を先導する数十人の楽隊。家のバルコニーから見物している人も多い。
続いて三角帽のナサレノ(信者)たちが通る。杖のように見えるのは長いロウソク。
それから十字架に磔にされたイエス・キリストの彫像を載せたパソ(山車)が現れ、沿道はさらに興奮。しかしパソが教会の前で止まると、見物客の中から「シーッ」と静寂を促す声が聞こえた。静寂の中、パソは教会の中のパソとまるで挨拶を交わしているように対面している。数十秒後、イエスを載せたパソが上下にさっと揺れた。人々のあいだからため息とともに「オーレ!」と静かな歓声が上がった。
イエスなどの彫像はそれぞれ一本の木から彫られ、それ自体が貴重な美術品だ。17世紀前半にセビージャで活躍した彫刻家モンタニェース Juan Martínez Montañés の作品か、それを模したスタイルになっている。写真はセビージャ美術館に展示されていたモンタニェースの作品。
こうしてイエスのパソが通り過ぎると、またナサレノたちの行進が長く続く。そのあいだに先ほど話しかけてくれたハビエルという名の男性とその奥さんと少しずつ話をした。このバルの近くに住むという2人は、毎年ここからプロセシオンを見物するのだという。
「今年の新年の抱負 New Year’s resolution は、英語を上達させる、ということだったんだ」とハビエルさん。私たちを練習台に、ときにあーっとうなって頭をふりしぼりながら話してくれる。プロセシオンは自分の属する教会の兄弟団 Brotherhood によって組織され、地域密着の行事である。ハビエルさんはまさにこの前日にナサレノとして行進をしてきたと誇らしげに言い、教会の仲間と撮った写真を見せてくれた。
私が陶芸博物館で見た日本人陶芸家の作品のことを話すと、ハビエルさんが「その人の作品、もってなかったか」と奥さんのマリベルさんに聞く。陶芸家の北原さんはセビージャのクリスマス市で自作のアクセサリーを売っており、マリベルさんは彼女から直接ブローチを買っていたというのだ。
「すごい偶然! 私たち同じ趣味があるのね」とマリベルさんがグーグル翻訳した英語をスマートホンで見せてくれた。一気に距離が近くなる。
そこへ、頭にターバンのようなものをまとった屈強な男たちがバルに入ってきた。コスタレロ costalero というパソを担ぐ人たちだ。布で覆われた台の下に十数人(もっと?)でもぐりこみ、視界がきかない中、パソの外にいる案内役の人の指揮に忠実に動いてパソを運ぶという、たいへんな重労働の担い手である。
撮影に応じてくれたコスタレロのみなさん。パソの下で担ぐとき、前列に数人、その後ろの列に数人、と数列に並ぶが、同じ列の人たちはなるべく身長をそろえるそうだ。
10分ほどの休憩だったのか、男たちはビールを飲み終わるとさっといなくなった。次は聖母マリアを載せたパソが来るよ、とハビエルさんが耳打ちしてくれる。
聖母マリアのパソはこんな感じ。ロウソクがたくさん飾られ、我が子イエスの受難を思って悲愴な表情のマリアが心に迫る。セマナ・サンタの期間、各教会のパソがこのように公開され、たくさんの人々が見に訪れる。
プロセッションの一番の盛り上がりは聖母マリアのパソの登場だ。教会の前まで来るとまた静寂に包まれ、花を持った人々がパソに花を捧げる。そしてイエスのときと同様に教会の中のパソに対面。赤く長いベールの後ろ姿しか見えないが、マリベルさんが「何て美しいの」と何度もつぶやいているのが聞こえる。
「毎年これを見ると鳥肌が立つのよ」と顔をほてらして言うマリベルさんに、私も何だか目頭が熱くなった。
聖母マリアを載せたパソが離れていき数分経つと、行進する人々も最後となった。通りの見物人は散り散りになり、バルからも一気に人がいなくなる。我々もハビエルさんたちと別れを告げた。
あの長い帽子はどうやって形を支えているの?という疑問に答える一枚。形を崩さないように中にケージが入っているんですね。