パリに行ったとは言っても、泊まったのはパリの西郊外のシュレンヌ Suresnes という街。ここが意外に、単なるベッドタウンと片づけるにはもったいないような街だった。

シュレンヌ(シュレーヌと表記されることも)にはパリ市内から路面電車(トラムウェイ)が走っている。ここからオペラ座界隈まではトラムと電車で 30分弱、ルーブル美術館まで 30~40分。ブローニュの森にあるマルモッタン・モネ美術館やルイ・ヴィトン財団美術館まではバス一本で行ける。

トラム駅には、アイルランド映画『イニシェリン島の精霊』(The Banshees of Inisherin: 2022)の宣伝看板が。アカデミー賞 9部門ノミネートされ、日本でも 1月末から公開です。

5泊したアパートはトラム駅からすぐの道沿いにあり、窓からエッフェル塔がよく見えた。

パリ観光に少し疲れた私たちは、ダブリンに戻る前日をこのシュレンヌで過ごそうと決めた。シュレンヌにはパリを一望できる丘がある。丘の一角は第一次・第二次世界大戦で命を失ったアメリカ軍兵士の墓地 Cimetière Américain de Suresnes になっているというので、そこに行ってみることにした。

アパートから10分ほど高台の方へ向かって歩くと、かなり急な上り階段があった。ここを上り切ればもう丘に出るようだ。さっそく息を切らせながら上がってみる。地元の人が踊り場でおしゃべりに興じているが、その中の一人が杖を使っているようなのでびっくり。

階段の上から越し方をふり返ると、パリの副都心ラ・デファンス La Défense の高層ビル群が見えた。ここから米軍戦没者墓地はもう目と鼻の先です。

墓地の正面。1919年の戦没将兵追悼記念日 Memorial Day に、アメリカ合衆国大統領のトーマス・ウッドロー・ウィルソン Thomas Woodrow Wilson とフランスの元帥フェルディナンド・フォッシュ Ferdinand Foch がこの軍事墓地を開設。その後アメリカ国民に譲渡された。

第一次世界大戦とその後の数年間に亡くなった1559人、第二次世界大戦の犠牲者23人ののアメリカ兵が埋葬されている。

墓地中央の奥にある記念礼拝堂には、第一次世界大戦で行方不明になった974人の名前、階級、出身地などが刻まれた大きな銅版が据えられている。訪れた人が記帳できるノートも置かれていて、見るとフランス国内やアメリカからだけではなく、ヨーロッパ全土や南米からの訪問者の名前もあった。

亡くなった兵士の階級、人種、宗教の区別なく、白い大理石の十字架の列が V字に並んでいる。いくつかあるユダヤ教の兵士の墓はダビデの星の形をしていて、薔薇の花が一輪捧げられていた。

だんだん空が晴れ、アメリカ国旗がはためく向こうにエッフェル塔がよく見えた。

2018年11月に、ドナルド・トランプ元アメリカ大統領がここを訪れている。第一次世界大戦終結100周年の行事に参加するためだ。執り行われた記念式典には、フランス、アメリカの軍関係者に混じって、13歳のアメリカ人少年の姿も。大戦で命を落とした英雄たちに敬意を払うために、2年間お小遣いを貯めてフランスにやって来たそうだ。

トランプ氏はこの前日にパリ郊外にある別の戦没者墓地を訪問する予定だったが、天候の理由などでキャンセルしている。このときトランプ一行はパリの駐仏アメリカ大使公邸に数時間滞在したそうだ。

問題はここから。トランプ氏はアメリカ帰国の際、大使公邸にあった数点の美術品をいっしょに持ち去ってしまったのだ。

アメリカ大使はもちろん驚いたが、「私の大統領の2回目の任期が終わる2024年に返す」というトランプ大統領に反論はできなかった。大統領専用機エアフォースワンに積み込まれたのは、ベンジャミン・フランクリンの胸像と肖像画、ギリシャ神話がモチーフの銀の置き物セット。総額約75万ドル(約8000万円)にも及ぶそうだ。

じつは持ち帰った美術品はどれも精工なレプリカ作品だったのだが、トランプ氏がその事実を知っていたかどうかは怪しいらしい。

それにしても、大統領に再選される保証などないのに、それを前提で返却の話をするなんてどういう神経なのだろう。返すつもりなどさらさらなかったに違いない。2024年以降、万が一パリのアメリカ大使公邸に呼ばれる機会があったら、美術品がちゃんと戻っているかどうかぜひ注目してみよう。

戦没者墓地から徒歩10分ほど高台の頂上に向かって歩くと、星形に作られた要塞、モン・ヴァリアン要塞 Mont-Valérien fortress に出る。

もともとは修道院で軍事要塞になったのは19世紀のこと。第二次世界大戦中は、レジスタンス運動の戦士や人質、ユダヤ人や共産主義者たちがドイツ軍によってここで処刑された。1960年にフランス戦没者慰霊碑が建てられた。

モン・ヴァリアン要塞にあるビジターセンターに事前に申し込むと、要塞の中に入るツアーを行ってくれるようだ。私たちはひととおり周りを歩いてから、シュレンヌの中心街に向かって丘を下っていった。この辺りではジョギングしている人にたくさん出くわした。傾斜が厳しい道ばかりだから、ベテランのジョガーには走り甲斐があるのだろうが、私など逆立ちしても無理です。

シュレンヌ中心にある広場で毎週水曜と土曜に開かれる青空市場。午後1時半ごろだったので、どこも店じまいの真っ最中。

広場奥にあるレストラン L’Entrepôt Saint-Claude で遅めの昼食。

地元の人たちで大賑わい。

シュレンヌにいくつかあるパン屋の中でも、ここ Fournil Henri IV はパンも焼き菓子もおいしい。

Salambo というシュークリームもどきのお菓子(写真左、2ユーロ80セント)と、洋ナシとチョコのタルト Tarte Poires Chocolat(3ユーロ10セント)。

シュレンヌで絵本とマンガ本を多数取り扱っている本屋。お隣には小説などを扱う店舗が併設されている。

日本のマンガもたくさん訳されているようだが、私の知らない新しいものばかり。

シュレンヌでもパリでも、レストランや店の店員は、フランス語で通してくる人と英語にすぐ切り替えてくれる人と半々くらいだった。私は数語しか知らない単語を並べて何とか注文などはできるが、ちょっとでも込み入ってくると、中高時代にフランス語を勉強した夫が頼り。次回のフランス旅行では、お肉の好みの焼き加減をフランス語で伝えられるようになりたい!