日本では辛い食べ物がブームのよう。私が中高生だった80年代半ばも激辛ブームで、「カラムーチョ」という唐辛子を効かせたスナック菓子や激辛カップラーメンが大人気だった。

当時は、並外れた物事の様子を表すために「超」をつけるのがはやっていた。「超基本」や「超満員」のように名詞につけるのがもともとの形なのだろうが、「超すごい」「超むかつく」と何でもかんでも「超」をつけて、インパクトを出そうとするようになっていた。すると今度は「激うま」「激辛」などという言葉がテレビのコマーシャルなどで頻繁に使われるようになった。やれやれ、「超」の次は「激」か、と思った記憶がある。

言葉は世間の流行や社会現象とともに変わりゆくもの。最近、通勤中にポッドキャスト Podcast(インターネットで無料配布されている音楽、動画、音声ファイル)で日本のラジオなどを聴いていて、「今はこんなふうに言うんだな」と心にメモすることがよくある。

例えば、「難しい」を「むずい」と言っている人の多いこと。若者言葉からふつうの口語表現に昇格(?)したのだろうか。アイルランドでは私はまだ「むずい」を生で聞いたことはないし、私も使ったことはないが、長めの形容詞なので短くしたくなる気持ちはわかる。

英語でももちろん、長い言葉は短縮することがある。特に口語表現、携帯電話のショートメッセージのやりとりなどでは短縮形は欠かせない。「おいしい delicious」は delish(デリーシュ)」、「非常にすばらしい」という意味の口語表現のファビュラス fabulous は fab(ファブ)になる。「必ず、断然 definitely」をくだけて言う defo(デフォ)もしょっちゅう聞く。

近所の家の前の葉桜。花びらが道を覆っているので時々滑りそうになります。

最近行ったベトナム料理店には梅の花の飾りつけが。

注文時に「辛さはどのくらいですか」と聞いたら、「あなたの好みにできます。As you like.」と言われた。そう言われてもよくわからないので「普通に」と頼んだら、激辛ではなくちょうどよい具合だった。Delish!

ところで、日本語の初級学習者がけっこう苦労するのが、形容詞だ。

形容詞は、名詞を修飾するとき、「大きい部屋」の「大きい」のように「~い」の形になる。「静かな部屋」の「静か」のように、「な」が必要なのは形容動詞だ。日本語教育では、前者を「い形容詞」、後者を「な形容詞」と呼ぶ。

  • い形容詞:大きい、暑い、おいしい、難しい、かわいい、など
  • な形容詞:静か、便利、ひま、きれい、きらい、など

「きれい」や「きらい」は一見「い形容詞」のように見える。しかし名詞の前につけると「きれいな人」「きらいな食べ物」となり、「な形容詞(形容動詞)」であることがわかる。これはひとつのポイントだ。

もうひとつのポイントは「い形容詞」の活用。否定形や過去形になると形容詞自体の語尾が変化するからだ。

  • 基本形:おいしい
  • 否定形:おいしくない
  • 過去形:おいしかった
  • 過去の否定形:おいしくなかった

「私の部屋」のように「の」を使って名詞が名詞を修飾するケースと混同してしまうと、「新しいの本」と言ってしまったりする。また、「い形容詞」と「な形容詞」が使い分けできていないと、「大きいだった」「大きいじゃない」などと「い形容詞」を「な形容詞」のように使ってしまう。

日本で育って日本語を習得した私たちは、形容詞の変化も自然に覚えて、特に学校で習わなかったように思う。ただ、だからといって正しく使っているとは限らない。

以前、日本で「きれいじゃない」「きれいだった」と言うところを「きれ(い)くない」「きれ(い)かった」などと誰かが言っているのを聞くと、どうしてそんな言い方をするのだろうと違和感を覚えたものだ。アイルランドに来て日本語を教える機会ができ、そのために日本語を学習者の立場で見るようになって始めて、この間違いは「『な形容詞(形容動詞)』を『い形容詞(形容詞)』のように活用させている」ことからきているのだ、と納得。

日本語の形容詞は難しいのだ。