ブダペストの空港の正式名称はリスト・フェレンツ国際空港 Budapest Liszt Ferenc nemzetközi repülőtér。そう、フランツ・リスト。ちょうど彼のピアノの名曲『愛の夢 第3番』を習い直しているところなので、ぜひともゆかりの場所を訪れなければ。

ブダペストにあるリスト像のひとつ。聖イシュトバーン大聖堂に続く通りの一角に建つ。

リスト像のすぐ近くにあるのは「太っちょ警官 Fat policeman」の愛称で親しまれているこの銅像。警官のおなかを触ると幸運が訪れる、今以上は太らない、などと言われている。この男性は私たちが参加したウォーキングツアーのガイドだったイシュトバーンさん。

画家アンリ・ラマンによる若きリストの肖像画(Henri Lehmann, Public domain, via Wikimedia Commons)。この長髪がリストのトレードマークです。

リストはフランツ・リスト Franz Liszt とドイツ語で呼ばれるのが一般的だが、ハンガリー語ではリスト・フェレンツ Liszt Ferenc になる。

パリの社交界で活躍していたという話が有名だから、私は彼がハンガリー人だと意識したことはなかった。彼自身は自分の出自を誇りに思っていて、ハンガリー狂詩曲やハンガリー幻想曲などの作品を残しているが、ハンガリー語は話さなかったらしい。

リストは1811年に、当時オーストリア帝国の支配下だったハンガリー王国の、ドイツ語圏の地方で誕生した。家庭ではドイツ語が話されていたので母国語はドイツ語だが、12歳のときに一家でパリに出て、リストはそこで思春期を過ごした。そのためフランス語を好んで話したという。いいなあ、いろいろな言語が話せて。

晩年は故郷のハンガリーに戻り、ブダペストで音楽教育に尽力。1875年にハンガリー王立音楽院が創立されると初代総長に就任した。無給で勤めたが、その代わりに(?)建物内に住居をしつらえてもらったとか。彼が1881年から5年間住んだ2階の住居部分が現在、リストフェレンツ記念館 Liszt Ferenc Emlékmúzeum として公開されているので行ってみた。

アンドラーシ大通り Andrássy út から一本入ったところに建つリストフェレンツ記念館。入場料は 2000フォリント(約 700円)。日本語(英語など他の言語も)のオーディオガイドは別に 700フォリント。リストが実際に使ったピアノや家具、肖像画や彫刻などが展示されている。リストは精力的に後進の育成に努め、生徒からたいへん慕われたそうだ。

鍵盤がついた特製の書き机。作曲活動がはかどりそう!鍵盤を押すと金属的な音が鳴るそう。

部屋の一角にある寝台の周りにはキリストの絵や十字架も。リストは晩年出家してキリスト教の僧侶になり、宗教性の高い作品も残している。

ドイツの彫刻家ルートヴィヒ・シュヴァーンターラーによるリストのレリーフの横には、リスト(左)とショパン(右)の横顔が。リストは1811年生まれ、ショパンは1810年生まれで同年代。ショパンは39歳で早世したが、リストは75歳、1886年まで生きている。

彼のピアノリサイタルのプログラム(ハンガリー語とドイツ語)。このときリストは自分の作品以外にも、フンメルやシューベルト、ショパンなどの曲を演奏した。

ブダペストとウィーンの後援者たちから送られた銀の譜面台には、リストの尊敬するベートーヴェン、ウェーバー、シューベルトの像が据えられている。

リストは生涯ベートーヴェンを崇拝していた。1845年に、ベートーヴェンの生誕75周年を記念して生誕地のドイツのボンで記念碑が建てられたが、その資金集めのためにリストはチャリティーコンサートを行っている。このコンサートが、今でもボンで開催されているベートーヴェン・フェスティバルの前身になったそうだ。

記念館では現在、定期的にコンサートも開かれている。私たちが訪れた日には、ハンガリー人の若きピアニスト、アダム・バロー Ádám Balogh(バローが名字)がベートーヴェンのソナタ30番、ラベルの『夜のガスパール』、そしてラフマニノフの『6つの楽興の時』を披露してくれた。ラベルとラフマニノフは特に、泣けるほどよかった。

リスト記念館のコンサートホール。観客は年齢層が高く、そのせいかマスクをしている人の割合も多かった。それでも 1割強といったところか。土曜朝11時からのコンサートのチケットは 2000フォリントだが、記念館の入館料といっしょに買うと 3000フォリント(約 1000円)になる。

ホールの内装はリストの時代とほぼ変わらないという。

使用されたピアノはスタインウェイ。

新たな校舎が必要となった音楽院は、1907年に現在の場所に移り、リスト・フェレンツ音楽大学 Franz Liszt Academy of Music と名称が改められた。名門校として名高く、日本語では「リスト音楽院」として知られているようだ。

アール・ヌーヴォー様式の現在のリスト音楽院。ギリシャ神殿のように石柱が建つ建物正門上部にはリストの彫像が。建物の建築を紹介するツアーも随時行われているらしい。

リスト音楽院の修士課程の修了時には、音楽院にいくつかあるコンサートホールで優秀な学生がコンサートを行う。この手のコンサートは無料。私たちは運よく日本人ヴァイオリニスト松田彩(あや)さんの演奏を Solti Hall で聴くことができた。バッハのヴァイオリンのソロに続いてブラームスでピアノとの共演、そして最後には 30人ほどの学生仲間が共演に駆け付けてベートーヴェンのヴァイオンコンツェルト。

あれ、リストの人と生りについては存分に触れたけれど、コンサートではリストの音楽は聴かなかったなあ。

まだまだ続く、ブダペスト旅行記。次回は日本人建築家の手がけたコンサートホール、「ハンガリー音楽の家」の話です。