ブダペスト旅行記② センテンドレでハンガリー人の優しさに触れる
昔から芸術家に愛され、ブダペストから日帰りで気軽に行ける観光地センテンドレ。カラフルな町並みがどこを歩いても絵になると聞いてはいたが、まさにそのとおりだった。
センテンドレ Szentendre はブダペストから北へ約20キロのところにある。ブダペストのバッチャーニ Batthyány 駅かマルギット橋 Margit híd 駅から、5番(H5)の郊外電車に40分ほど揺られて行くのが一般的な行き方だ。
マルギット橋 Margit híd 駅は、ブダ側に渡った橋の下にある。私たちのアパートから歩いて15分。
犬を連れた乗客が電車に。終始おとなしくしていました。今回の旅行ではどこでも犬連れの人をやたらと見た。
緑色のレトロな電車が路線終点のセンテンドレ駅に到着。
駅から人波に沿って7、8分まっすぐ歩くと、石畳の道の両側に店が並ぶ町並みが開ける。
アーティストや職人たちから直接作品を買うこともできるので、お土産探しにもぴったり。この日はちょうど日曜で、個人営業の店や露店は閉まっているかもしれないと思ったが、観光地なのでそんな心配は無用だった。
ハンガリーの印象派の画家、フェレンツィ・カーロイ Ferenczy Károly(フェレンツィが名字)が1890年にこの町に移って芸術活動を行ったことから、彼の作品を収めた美術館が町への道の途中にある。私は彼の名前を聞いたこともなかったので素通りしてしまったが、これ以外にもたくさんのギャラリーや美術館がセンテンドレにはあり、1700フォリント(約600円)で共通券が買える。
1920年代には芸術家たちの生活共同体(コロニー)がこの町に築かれた。その中の中心人物のひとり、クメッティ・ヤーノシュ Kmetty János(クメッティが名字)はハンガリーにキュビズムを伝えたそうだ。
クメッティ美術館 Kmetty Múzeum。
セザンヌを思わせる画風の静物画や風景画が多い。ハートのシールが絵の前の床に貼ってあり、絵によってその数が違う。来館者に好きな絵の前にシールを貼ってもらうイベントでもあったのかな。
私のお目当ては、コヴァーチ・マルギット陶芸美術館 Kovács Margit Múzeum。旅行の下調べをしていたとき、この美術館に収められている作品の写真を見てどうも気になっていたのだ。
センテンドレは小さな町なので、特に探し歩かなくてもメイン通りの横道のひとつに美術館はすぐに見つかった。コヴァーチ・マルギット Kovács Margit(コヴァーチが名字)はハンガリーを代表する陶芸作家。彫刻、陶芸などの作品がメインの建物と中庭をはさんだ離れの建物に集められている。
コヴァーチの生涯(1902‐1977)をハンガリー語と英語で説明したパネルを順に追って読んでいると、Pozsonyi と言う言葉が目に飛び込んできた。私たちが滞在しているブダペストの通りの名前だ!
コヴァーチは1934年、母親とともにブダペスト13区 Pozsonyi 通りの一番地に移り住んだ。すでに陶芸家として順調なキャリアを歩んでいた彼女が 30代前半のときだ。1977年に亡くなるまでそこを拠点に創作活動を行ったという。
何と彼女は私たちの泊まっているアパートからほんの数十メートル離れたところに住んでいたのだ。この偶然にすっかり嬉しくなり、先を読み進める。
1930年代、当時ナチスドイツの影響下にあったハンガリーには、各国の外交特権の及ぶ「安全」な場所があった。Pozsonyi 通り一番地はスウェーデン大使館の庇護のもとにあり、それでユダヤ系だったコヴァーチはここに居を構えることになったのだ。同じ建物に住んでいたユダヤ系の著名な詩人ラドノーティ・ミクローシュ Radnóti Miklós とその妻とも親しくしていたが、詩人はホロコーストの犠牲になり、コヴァーチと母親は第二次世界大戦中の一時期にはゲットーに移らなければならなかった。コヴァーチは生涯、公の場で決して戦争中のことを語らなかったそうだ。
どこかユーモラスな『膨らんだ魚』(1950)の壺。
糸紬(いとつむぎ)をする少女。
『卵に色を塗る女性』(1952)
『花嫁を着付ける』(1953)。花嫁、嬉しそうです。
3人の女性が赤い糸を持っている『運命』(1958)。年配の女性が運命の赤い糸を今にも切り落としそう。
『「忘れないで」という眼をした物乞いの女性』(1970)
家族と仕事の日常、民族の伝統、宗教など様々な題材を扱った作品の中、私は特に女性たちの生き生きとした表情に吸い込まれそうになった。美術館では、コヴァーチが自宅の居間のような仕事場で、粘土をこねたりひねったりして楽しそうに作品を作っていく過程も白黒フィルムで見られる。
私は彼女の作品に、3年前にドイツのハンブルクに行ったときに見た、エルンスト・バルラハ Ernst Barlach の木彫りの彫刻に通じるものを感じた。
ハンブルク郊外で生まれたエルンスト・バルラハ(1870‐1938)の絵画や彫刻を擁するエルンスト・バルラハ・ハウス。企画展で彼以外の芸術家の作品も見られる。
なめらかな曲線がダイナミックなバルラハの彫刻。
美術館で充実したときを過ごした後は腹ごしらえ。ランゴッシュというピザのような食べ物で有名な店に行く。丘の教会までふらふらと上り下りした道すがらに見つけたのだが、中央の広場から出ている数本の小道のひとつにこの店の黄色い看板が出ていた。
YouTube動画でよく紹介されている小さな店。実際食べてみないとわからない。
「ハンガリーに来たらこれを食べなきゃ」という人気のストリートフード、ランゴッシュ Lángos。イースト菌で発酵させたパン生地を揚げたもの。私たちが食べたのはサワークリームとチーズのたっぷり載ったもので、1150フォリント(約400円)。クレープのようなパンケーキは約 120円。2人でこれでお昼には十分。
大人気です。まだランゴッシュを食べたことがなかったら特に行く価値あり。
土産物屋などをひやかして歩いていると、横道に「Ceramics」と看板を外に出した店が目についたので入ってみる。
壁側の棚にどっしりとした濃い色合いの大皿やマグカップがある一方で、テーブルには蓮の花のような繊細な色と形の磁器の食器が並んでいる。奥は工房になっているようだ。
店内のあるポスターや案内物にはなぜか中国語が多い。
「以前、中国で陶芸を教えていたんですよ」と作り手のセンテ・クリスティーナ Szente Krisztina さんが気さくに話しかけてくれた。しつこいようだがセンテが名字だ。ハンガリーでは日本と同じように名字、そして下の名前という順番なのだ。
中国のどこに、と尋ねると、「Wuhan(武漢市)」とクリスティーナさん。
「新型コロナの騒ぎになる直前の12月(2019年)まで、武漢にいたんですよ。また行けるようになるといいんですけど。」
それまで数年間は毎年数カ月中国に滞在し、各国の陶芸家たちとマスターコースや展覧会を開いたりしていたそうだ。「日本人の陶芸家たちもいましたよ」と懐かしそうに語ってくれる。こちらまで優しい気持ちになる、包み込むような笑顔の人だ。
写真撮影に気軽に応じてくれたクリスティーナさん。
クリスティーナさんの店を出て歩いていると、今度は「Wine Museum(ワイン博物館)」という看板の出ているレストランがあった。これはのぞいてみなければ。外で給仕しているウェイターに聞くと、レストランの地下にあるらしい。真面目そうな顔をしたそのウェイターが、「ゆっくり見てきていいよ。(天井が低いところがあるから)頭に気をつけて」と地下に降りる階段を指し示してくれる。
降りてみると、穴倉のようになっている地下の空間に、ハンガリーのワインの産地について説明しているパネル、ワイン樽、そしてワインや他のアルコールの貯蔵庫があった。早い時間に団体客でも来たのか、デキャンタやワイングラスが無造作に置かれたテーブルがいくつか出ているし、まだカナッペがいくつか載っている大皿まである。
人影は私たちだけ。「We are really trusted. 僕たちすごく信用されてるね」という夫に大きく相づちを打つ。
『ワイン飲む人の十戒』が各国語で書かれてある。言いたいことはわかる。
地下のワイン倉庫の雰囲気だけ楽しんで、外の世界に戻る。せっかくなのでワインを一杯飲んで休憩し、帰路に着くことに。
町に到着してすぐに見た露店をまた通りかかる。ちょっと惹かれたピアスと指輪がまだ残っていたので、買うことにする。両方で5700フォリント(約2000円)だったが、この日はもう現金は 5000フォリントしか残っていない。「カードでいい?」と聞くと、「キャッシュオンリーなの。だから5000でいいわ!」とおまけしてくれた。
シンプルで飽きの来ない形と色のアクセサリーは、この町のようにカラフル。
ドナウ川沿いの町、センテンドレ。次に来ることがあれば、帰りは船というのもいいかもしれない。
来たときと同様に郊外電車に乗り、ブダペストに戻る。ドナウ川にかかるマルギット橋をブダ側からペスト側にてくてくと渡る。堂々たる国会議事堂 Országház(Hungarian Parliament Building)が空に映える(写真左手)。高さ96メートルの国会議事堂は、聖イシュトバーン大聖堂と並んでブダペストで最も高い建築物だ。
Pozsonyi 通りのアパートに戻る途中、一番地にコヴァーチの住んだ証のようなものがないか探してみる。すると、作品を彫る穏やかな表情の彼女のレリーフが、道に少し入った建物横の壁にありました。
この建物の5階(日本の6階)に長年住んでいたコヴァーチ・マルギット。
コヴァーチ・マルギット陶芸美術館のパンフレットとセンテンドレのお土産。露店で買ったアクセサリーはパンフレットの女性と同じ色合いだった。クリスティーナさん作の磁器の小皿は、ダブリンに戻ってから毎日使っている。郊外電車の運賃はブダペスト市内からの15キロ延長チケットというもので、片道 310フォリント(約110円)
次回は、ブダペストでのクラシック音楽の話。