数日前に開催された今年のアカデミー賞で、濱口竜介監督が『ドライブ・マイ・カー』で国際長編映画賞を受賞するという快挙を成し遂げた。

アカデミー賞では、去年私が観た映画の中でベスト3に入る『コーダ あいのうた』が作品賞、助演男優賞、脚色賞も取ったので嬉しかった。日本では4月から上映館数が拡大されるそうだ。

濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』は、昨秋アイルランドで公開。監督の最新作『偶然と想像』も、ダブリンの私の馴染みの映画館 IFI(Irish Film Institute)で今年2月に上映されたので観に行った。

『偶然と想像』の英語のタイトルは『Wheel of Fortune and Fantasy』。Coincidence and Imagination と私なら直訳してしまいそう。Wheel of Fortune とは何だろうと思ったら、タロットカードの一枚に「運命の輪 Wheel of Forune」というカードがあるそうだ。また、ルーレットやボード状になった「運命の輪」はテレビのクイズ番組などでよく見る。輪を回転させて、「偶然」止まったところに出た賞品や金額がゲットできたり、そこに書いてあるタスクを行ったりする、というものだ。偶然が運命を左右するということか。

タロットカードの「運命の輪 Wheel of Forune」。回る車輪を運命にたとえ、このカードが正位置に出たか逆位置に出たかで、人生の浮き沈み、変化を読む。

映画『偶然と想像』は3つの短編によるオムニバス映画で、濱口監督は監督と脚本を担当している。どの話にも個性的なキャラクターが登場し、その人物の運命がどう転がるのかまったく読めない。一つひとつは内容が濃い話なのに通して観るとあっという間の2時間だった。

観ている最中、どうしても気になったことがある。どの話でも、「あなた」という二人称をよく使う登場人物がいたことだ。

例えば最初の話『魔法(よりもっと不確か)』では、元カレが親友と付き合い始めることを知った女の子が、彼の仕事先に押しかけ、あれこれ攻め立てる。そのとき、彼を名前ではなく「あなた」と高圧的な態度で呼ぶ。

2年前に自分から振っておいて、「あなたを傷つけることで、愛を確認したかった自分に今気づいた」とのたまう。さらに「私はあなたに何も約束できない」「私はあなたのものになるとは限らない」…。

彼の方は自分の気持ちを押し殺そうと努めている。何の前触れもなく突然現れて勝手なことを言い募る元カノに辟易しているようなのだが、実は彼女のことを今でも忘れられない。感情が高ぶって一度彼女を「お前」と呼ぶ。すると彼女は「お前呼ばわりしないで」と怒るのだ。「あなた」を連発するあなたの方がよほど失礼でしょ、と思ってしまった。

2話目の『扉は開けたままで』での「あなた」は、中年の大学教授が20代半ばの社会人学生の女性に向けて言っていたので、違和感はなかった。

3話目『もう一度』。高校を卒業して20年を記念した同窓会に出席するために、東京から仙台にやってきた夏子。すれ違った女性を見て「私よ」と声をかける。高校時代の同級生のあやだと思ったのだ。話の流れで、今でも仙台に住んでいるあやの家にいっしょに行くことになる。

家に着いてしばらく世間話をするが、あやはどうも話に乗ってこない。いらだつ夏子に、あやは「本当のこと言うと、私、あなたの名前思い出せなくて」と白状する。そればかりか、彼女はあやではなく、2人は同じ高校にも行っていなかったことが判明する。他人の空似だったのだ。

それから2人は、もし人違いではなかったらという設定で、20年ぶりに再会する夏子とあやとして話をする。

「あなたには近寄りがたい雰囲気があったけど、あなたと話したいと思っている人は多かった。私はあなたに憧れてたの。」

「あなた」という呼称を重ねることで醸し出される白々しさのようなものがあるが、それがここでは2人が想像の中の夏子とあやを演じているという状況を引き立てていたのかもしれない。

それにしても、「あなた」が多かった、この映画。

日本語を教えるとき、人称代名詞の説明には注意が必要だ。英語の you はそのまま「あなた」と信じ込んで日本語を勉強している人もいる。私は機会があれば「目上の人や友人を『あなた』と呼ぶと相手が不快感を覚えたりする場合もあるので、なるべく使わないで名前で呼ぶようにして」と言うことにしている。

でも、そんな彼らがこの映画を観たら、「日本人も『あなた』をよく使うじゃないか」と思って、ますます使ってしまうかもしれない。うーん、脚本も書いた濱口監督に、何か意図があるのかどうか聞いてみたい。