YouTube 動画で知った神戸在住のピアニストの方が、Zoom で定期的に少人数のワークショップをされている。ピアノ初心者、大人になってピアノを再開した人でも歓迎ということで、何回かダブリンから参加している。日本に住んでいる見知らぬ日本人と話をするのは久しぶりだったので、初回はかなりドキドキ。

自己紹介も兼ねてそれぞれがピアノとの関わり、ワークショップ参加の理由などについて話していたところ、参加者の一人が「先生のこのビデオ、刺さりました」と言った。

もう一人の参加者も「私も、すごい刺さって…」と同調する。

さ、刺さるって、どうしちゃったの、と私はとまどった。「胸に突き刺さる」という表現を簡略化したものか、と思ったが、それだと悲痛な心情を表すことになってしまう。この場合は「傷ついた」「つらい」「悲しい」という意味ではないことはどう考えても明らかだ。

このときは、何かが「刺さった」くらいの強い衝撃、インパクトを得たということなのかと思ったのだが、その後、他の動画でもいろいろな人たちが「刺さる」「心に刺さる」という表現を気軽に使っていることに気づいた。

調べてみると、「刺さる」は2015年に三省堂によって「今年の新語」ベストテンの中に選ばれている。ちなみにこの年の大賞は「じわる」で、2位は「マイナンバー」。

「共感できる」「感動する」という意味で、「心に刺さる」という表現がまず広まり、「心が」を省略して単に「刺さる」と言うようになったそうだ。

私が心に「刺さった」ことといえば、アイルランドに来てまもなく体験したあるバスの運転手さんの対応だ。友人とダブリン郊外の観光名所、マラハイド城 Malahide Castle & Gardens に遊びに行った帰り、友人は電車で、私は一人でバスでダブリンまで戻ることになった。電車の方が速いのだが、単にバスの終日券を使った方が得だっただけのこと。

当時はバスの本数は少なく、しかも前のバスが行ってしまったばかりだったようで、30分以上は待たなければならなかった。折しも急に曇天になり、すぐ止むいつもの雨ではなく、バケツをひっくり返したような大雨が降ってきた。停留所には屋根がなく、傘を持っていなかった私は瞬く間に濡れネズミになってしまった。「やっぱり電車にした方が正解だったか」と駅の方に向かおうとしたとき、一台のバスがこちらへ向かってきた。

バスには「回送バス Out of service」と表示が出ている。がっかりしていると、バスが停まり、ドアが開いて「どこに行くの、街まで? Are you going to the citycentre?」と運転手が聞いてきた。「Yes!」と大声を上げる。すると「乗っていきなよ。Hop on!」と後ろの座席を見やって言った。

何てラッキー!と私はそそくさとバスに飛び乗った。運転手さんは「ひどい天気になっちゃったな。本当は回送中に人乗せちゃいけないから、電気つけないでおくよ」と一言。びゅんびゅん飛ばして、あっという間にダブリンの街中に戻ることができた。運転手さんの粋な計らいに感謝感激。こういうの、今の日本語なら「神対応」とでも言うんだろうか。

今週末もまたピアノのワークショップがある。時差のせいでこちらでは日曜の朝8時からだ。ピアノを弾くヒントはもちろん、また新しい日本語との出会いもあるかも、と思うと早起きもちっとも苦ではない。