フェニックス公園で大みそか、元旦にブースター接種
2021年の大みそか、おせち料理もどきの下ごしらえをした後、私と夫はフェニックス公園 Phoenix Park にあるファームリー・ハウス Farmleigh に向かった。ダブリンの街中からバスに乗って公園の北東にある入口まで行き、そこから公園内をてくてくと10分ほど歩くとファームリー・ハウスの敷地の門が見えてくる。
12月末の数日は最高気温が15度もあるほどだった。この日も暖かく天気がよかったので、公園内には家族連れやジョギングをする人たちがかなりいた。近くに住む人たちの犬の散歩コースでもあるのだろう、様々な種類の犬も見かけた。
フェニックス公園は街中にある公園としてはヨーロッパで最大、周囲の長さは約11キロ。公園内にはアイルランドの大統領公邸、アメリカ合衆国の大使公邸、アイルランド警察本部などがある。
78エーカーの敷地を誇るファームリー・ハウスは、アイルランドの迎賓館として各国の大統領や首相、王族などの国賓をもてなす施設だ。2005年のアイルランド訪問時、上皇(平成天皇)と上皇后(美智子様)もここにお泊まりになった。
ファームリー・ハウスの敷地内でくつろぐ馬を遠目に眺める。ロバの保護施設もあるそう。
年末でもまだクリスマスの飾りつけのファームリー・ハウス。
この建物はもともと小さなジョージアン様式の邸宅だったが、ギネスビールの創始者アーサー・ギネスの曾孫(ひまご)であるエドワード・セシル・ギネスが、新妻へのプレゼントとして1873年に購入したそうだ。以来改築、増築がくり返され、1901年にダンスホール ballroomと温室 conservatory が加わり現在の形となった。1999年にアイルランド政府はギネス家からファームリー・ハウスを買い取り、迎賓館として設備を整えた。
このファームリー・ハウスやダブリン城など、国の機関である OPW(Office of Public Works 公共事業局)が管理している観光地は2021年は何と入場無料だった。国外からの観光客の減少を予想して、観光産業を何とか後押ししようという試みだ。私たちが予め予約しておいた館内のガイドツアーももちろん無料だった。
ツアーの参加者は私たちともう一組の家族連れだけ。客用寝室はガイドツアーでも一般公開はされていないが、ダイニングルーム、図書室、ダンスホール、温室などを見ることができる。
エントランス・ホールはコネマラ大理石の柱が目を引く。ガイドツアー中、フラッシュを使わなければ館内の撮影可。
アイルランドの現在の大統領、マイケル・D・ヒギンズ Michael D. Higgins と夫人のサビーナ Sabina。彼らやアイルランドの首相がホストとなり、国賓をもてなすイベントや国の行事が行われる。
マネキンのドレス部分をツリーとして飾ったユニークなクリスマスツリーがいくつもの部屋に置かれていた。これはダイニングルーム。
このダンスホールで2005年に日本の上皇号両陛下に謁見する機会があった。
温室にあったマネキン+クリスマスツリーは、暖かいせいか、かなりしなっています。
ファームリー・ハウスを後にし、バスで街中に戻ってきた。リフィー川 River Liffey にかかるハーフペニー橋 Ha’penny Bridge の近くでバスを降りる。ちょうど昼食のタイミングで、かなり歩いたのでおなかもすいている。夫に「何を食べたい気分?」と聞いたが何でもいいようなので、「じゃあ日本食」と決め、ハーフペニー橋の南側のたもと近くにあるイートーキョー Eatokyo という日本食レストランに入った。ここは平日のランチメニューがとても良心的な値段なのだ。しかもランチメニューは午後5時まで頼めるので、遅めのランチ(早めの夕食)にも使える。
Eatokyo レストラン。写真の右にはハーフペニー橋が。私たちが橋を渡った直後にパレスチナの国旗がたくさん掲げられたが、これはパレスチナを支援するアイルランドの団体によるもの。アイルランドは、他国の圧政に長いこと苦しんだ自国の歴史をパレスチナに重ね、政治的、社会的な支援を積極的に行っている。
夫が頼んだランチセットは鴨肉の七味がけ、揚げ餃子、のり巻き、ご飯にお味噌汁。これで9ユーロ50セント(1200円ちょっと)は安い。
私が頼んだのは同じ値段のカツカレー。カレーといってもトンカツのソースがカレー味というだけだが、それなりにおいしかった。
毎年12月31日は年越しそばを作って遅い夕食にするのだが、そばのストックが切れていたので家に帰る前に買わなければならない。しかし、昼食でふくれたおなかを抱えて買い物をするのは何だかおっくうに。家の近所のスーパーでそばを売っていたような気もしたので、またバスに乗って家に向かう。残念、スーパーの「日本食品コーナー」にはうどんしかなかった。仕方がないのでうどんで代用することにする。それでも近所の普通のスーパーで日本のうどんが買えるのだから嬉しい。
奥薗壽子さんのレシピで「鶏と卵の醤油煮」を作り、煮汁を薄めて「年越しうどん」に。翌日の元旦にはうどん抜きでメイン料理にもなった優れモノ。ちなみにアイルランドでは鶏のもも肉は骨付きしか売っていない。今回は骨付きのまま調理して、食べるときに骨を取り除いた。
もちろん年越しパーティーなどはなく、近所からも歓声は聞こえてこない。静かに自宅で今年の総集編のようなテレビ番組を見ながら「そういえば日本の紅白歌合戦はどうだったかなあ」とスマホで情報を得ていると、午後10時過ぎにフィンランドの友人から新年のメッセージが届いた。フィンランドやエストニア三国、ブルガリア、ギリシャなどはアイルランドと2時間時差があるので、その分早く年が明けるのだ。アイルランドは他の多くのヨーロッパの国々とは1時間の時差、そしてポルトガル、イギリスとは同じ時間帯である。
あっという間に年もあけ、いよいよ2022年。今年の元旦は、ブースター接種で始まってしまった。
クリスマス前に、夫に HSE(Health Service Executive 国営医療サービス)からブースター接種の予約の連絡が来た。予約日時は2022年1月1日(土)、午前9時45分。2度のワクチン接種に続き、また年下の彼に先を越されるのはしゃくだったが、元旦ぐらいは家でごろごろ、もとい、穏やかに過ごしたいと思っていたので、「一人で行ってらっしゃい」と送り出すつもりだった。
ところが、クリスマス休暇が終わって職場に28日に戻ってみると、新型コロナウイルスの濃厚接触者となったために自宅待機を余儀なくされている人が何人もいた。クリスマスの時期は人の往来が多かったため、これから感染者が増えることは必至。ブースター接種の予約は年齢の高い順に HSE から連絡が来るはずなのだが、私より年上でもまだ連絡待ちの人がいるので当てにならない。
予約なしでも接種が受けられるワクチンセンターや、HSE のウェブ予約のページから予約をすれば、30歳以上なら誰でもブースターの接種ができる。(2021年1月2日からは16歳以上に引き下げられた。)ワクチンセンターに何時間も並ぶ余裕はないので、ウェブ予約を試みる。大勢の人が私と同じことを考えているためページがパンクしてしまっているのか、数時間おきにトライし、やっと予約のページにたどり着けた。夫の行くワクチンセンターの予約が可能な日は1月1日のみ。向こう3日間の予約しか受けつけないようだし、今後いつウェブ予約のページにつながるかわからない。もうこれは元旦に出かけるしかないのだと観念し、夫の予約時間と近い時間を予約することにした。
わが家からバスで約30分のところにある大学、UCD(University College Dublin)の建物のひとつの地階がワクチンセンターとなっていた。ここは事前予約者しか取らないので行列もなく静か。
ノートブック、ボールペン、キャンドルやカフスボタンなどの大学グッズ。
大学内にある人口の湖。左奥に見える建物は、私が2002年から3年ほど働いていたアプライドランゲージセンター Applied Language Centre。大学付属の語学センターで、私はここで日本語を教えたり事務の仕事をしたりしていた。
予約時間に多少の違いがあっても、夫婦だからということで同じブースにいっしょに通してくれた。まず私、そして夫がワクチンを打ってもらう。今回はモデルナ社のワクチンだ。ものの10分と経たないうちに受けつけから接種まで2人とも完了した。
家に帰ってもまだ11時前。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートの放映の真っ最中だった。オーストリアの美しい風景やバレエにうっとり。だんだん腕がだるくなってきたが、人参なます、さつまいもの芋きんとんは大みそかに作っておいたし、メインの鶏肉料理も温めるだけなので、あとは炊き込みご飯と茶碗蒸しを作るだけだ。これらの「おせちもどき」を食べ、日本酒も少し飲んで「いつもの元旦」を満喫した。
暖かい日が続いたので、ダブリンにある早咲き種の桜も元旦にはこんなに開花していた。
在アイルランド日本国大使館が毎年送ってくれる生け花のカレンダー。ピアノの横にかけて毎日見ている。今年はいろいろな予定でカレンダーを埋められたらいいな。