私が初めてアイルランドという国に興味をもったのは、30年ほど前、高校生のときに見たテレビ番組『世界ふしぎ発見!』のアイルランド特集を観たときだったと思う。

私はそのころラジオにはよく耳を傾けておりテレビはほとんど観ていなかったが、このクイズ番組は受験勉強の息抜きとして毎週観ていた。今でも『世界ふしぎ発見!』は続いていると先日知ってびっくり。しかも司会の草野仁さんをはじめ、レギュラー解答陣には黒柳徹子さん、野々村真さんと当時からのおなじみの面々なんてすごい。

アイルランドはおそらくこの番組で何度か取り上げられているのだろうが、私が高校生のときの回で紹介されたのは、「ボイコット」の語源、そして「アイルランド文芸復興運動」についてなどだった。「ボイコット」とは19世紀にアイルランドで土地を管理していたイギリス人の名前 Boycott で、法外な借地料の引き下げを要求されたがそれに応じなかったため、農民が一致団結して彼に抗議し、地域社会から孤立させてしまった。これが抗議運動などの語源の「ボイコット」になったのだそうだ。こんなこと大方のアイルランド人はまず知らない。

アイルランド文芸復興運動は、数世紀に渡るイングランドからの支配に対抗してナショナリズムの気運が高まっていた19世紀末、詩人・劇作家の W. B. イェイツが中心となって始まった。番組内でどんなクイズが出されたかは覚えていないが、イェイツたちがそこで詩や戯曲などを創作したというクール荘園 Coole Park(現在は自然保護公園)の美しい風景もあいまって、否が応でもロマンがかきたてられた。

【アイルランド文芸復興運動】

19世紀の末に、イェーツやグレゴリー夫人らがアイルランド文芸復興運動をおこし、演劇の分野を中心に、積極的な活動を展開した。その目標は、イギリス文学の伝統を脱して、古代ケルト精神に復帰し、アイルランドの神話、伝説、歴史、文化、民衆の生活感情、風土風物などを題材に取りあげて、独自の国民文学をつくりだすことであった。つまり、文学技法の改革よりも、民族固有の主題の発見を重視する運動であり、本来、ロマン主義文学の系譜につらなるものである。(平凡社『世界大百科事典 第2版』より)

『世界ふしぎ発見!』のアイルランド特集は、受験勉強のことをしばし忘れさせてくれるくらいのインパクトを私に与えてくれた。それ以来「アイルランド」は私の中で特別な位置を占めるようになり、満を持して(?)2002年にダブリンに移った。

2001年、初めてダブリンを旅行で訪れた際、宿の朝食で出会って意気投合したイタリア人の女の子とダブリンの街を歩きながらいろいろな話をした。2人で入ったテンプルバーにある映画館(Irish Film Institute)は今でもダブリンで私のお気に入りの場所のひとつ。

カフェバーも併設されている映画館 Irish Film Institute

中国語でアイルランドは爱尔兰(繁体字では愛爾蘭、ピンインは Ài’ěrlán)だが、日本語でもアイルランドを漢字一つで表すと「愛」となることはこちらに来て初めて知った。

だから「日本とアイルランド」は「日愛(にちあい)」になる。愛日協会 Ireland Japan Association(IJA)はアイルランドと日本両国の理解と結びつきを強めるために様々な活動をしている機関だし、こちらの日本人同士では「アイルランドに来る」という意味で「来愛」「渡愛」などと書くこともある。

2007年、日愛外交50周年を記念して、日本とアイルランド間にワーキングホリデービザ制度が導入された。以来、たくさんの若い日本人をこちらで見かけるようになった。その中には、「イギリスのワーホリに申し込んだけど落ちちゃったから、イギリスに近いアイルランドに来てみた」という人も多い。ダブリンはロンドンなどに比べるといなかで不便でつまらないと文句を言う人を見ると悲しくなるが、中にはすっかりアイルランドが気に入ってアイルランドびいきになる人もいる。

こちらに住んで20年のあいだに辛いこともあったが、私のアイルランドへの愛は深まるばかり。納得できないことやわずらわしいことがあっても、自分の家族のようにそういう部分も含めてこの国を愛していると言える。

なんてことを考えたきっかけは、先日の秋篠宮家の眞子様と小室圭さんの結婚会見だ。小室さんが「私は眞子さんを愛しております」と開口一番に言うのを聞いておおーっと思い、「愛」について思いを馳せたら真っ先にアイルランドが浮かんだのである。日本とアイルランドのふたつも大切な国があって私は恵まれている。