フェルメールを英語で言うと...
評論家の山田五郎さんによる YouTube 動画、『オトナの教養講座』が面白い。絵画や美術史に全く不案内な番組スタッフが、「どうしてゴッホはたくさんひまわりを描いたのか」「セザンヌのリンゴはなぜテーブルから落ちないのか」といった素朴な疑問を提示し、五郎さんが易しく説明するという設定だ。
11月中旬に私がロンドンでウィリアム・モリス・ギャラリーなどを訪れていた頃、モリスの友人だったダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ Dante Gabriel Rossetti について解説した動画が公開されていたので、アイルランド帰国後にさっそく視聴した。ラファエロ前派とモリスとの関わりについても触れていたが、彼らの作品を目にしたすぐ後だったので余計に納得できた気分に。
そして、五郎さんがフェルメールについて解説した『フェルメール修復事件:現れたキューピッド!あなたは納得?それとも激怒?』もアップされた。
この動画で初めて知ったのだが、ドイツのドレスデンにあるアルテ・マイスター絵画館が所蔵する『窓辺で手紙を読む女』が修復され、背景の壁にかけられた弓を持ったキューピッドの画中画が明らかになった。来年1月に東京都美術館にお目見えするそうだ。修復後初めての海外でのお披露目先が日本。日本でのフェルメール人気を物語っていますね。
修復前の『窓辺で手紙を読む女』(1657‐59)(Johannes Vermeer, Public domain, via Wikimedia Commons)。フェルメール没後に何者かによって画中画が上塗りされていたが、その上塗り層を除去する修復作業が最近ついに終了。
ロンドンのナショナル・ギャラリー所蔵のフェルメール画『ヴァ―ジナルの前に立つ女 Lady Standing at a Virginal』(1670‐72頃)(Johannes Vermeer, Public domain, via Wikimedia Commons)。この絵の画中画とほぼ同じキュービッドの絵が、『窓辺で手紙を読む女』の背景の壁に現れた。
この絵の修復についてはアイルランドではほとんどニュースにならなかったが、フェルメールと言えば、2017年の夏にアイルランドの国立美術館(ナショナル・ギャラリー)での大フェルメール展が記憶に新しい。30数点しかないと言われるフェルメールの絵画10点もが集まり(うち1点はアイルランド国立美術館所蔵)、同時代の他の巨匠たちの作品といっしょに鑑賞できるというので、私の周りの美術ファンたちは色めきたった。
その中の一人は、ナショナル・ギャラリーでガイドもするほどの美術通。彼女は常々、「私の夢は世界中にあるフェルメール作品をすべて見て回ること」だと公言していたので、「30数点のうち10点もダブリンで見られるなら、思ったより早く夢がかなっちゃうかもね」と皆にからかわれることになった。フェルメール Vermeer は英語読みでは「ヴァーミーア」のような発音なので、私は初めは彼女が何のことを言っているのかわからなかったくらいだ。オランダ語では語頭の V はしばしば F のように発音するらしいので、日本語読みの方が現地の発音に近いようだ。
フェルメールと同じくオランダ人であるゴッホ Vincent van Gogh の名前も、英語ではどう発音していいかわからず困惑したことがある。英語では「ゴッフ」「ゴー」「ゴッホ」と人によって発音の仕方が異なるからだ。さらに気をつけなければならないのは、日本語では「ゴッホ」とだけ言えば通じるが、英語では必ず「ヴァン・ゴッホ」と前置詞の van(英語の of と同じ)をつけることだ。(最近では現地主義の原則にのっとって日本語では「ファン・ゴッホ」と書くようだが、オランダ人の発音を聞いてみると、私には「ヴァン」と「ファン」の中間に聞こえてしまう。)
私ももちろん展覧会期間中はナショナル・ギャラリーに何回か足を運んだが、そのたびに会場で日本からの観光客をかなり見かけた。この展覧会を日本でやったらすごい人込みになっただろう。翌年2018年10月から上野の森美術館で開催されたフェルメール展では彼の作品8点が公開され、約4カ月で68万人強もの来場者数があったそうだ(フェルメール作品7点が来た2008年のフェルメール展の来場者数は約93万人)。アイルランドでの来場者数は3ヶ月で10万人強だった。
アイルランド国立美術館 National Gallery of Ireland。
アイルランドにあるフェルメール作品『手紙を書く夫人と召使 Lady Writing a Letter with her Maid』(1670‐71)(Johannes Vermeer, Public domain, via Wikimedia Commons)。
五郎さんは動画『フェルメール修復事件』の中で、フェルメールの絵はなぜ日本人好みなのかについて自説を披露する。
- 宗教画ではない。
- 画面にある光の柔らかさが、「障子越しの光」のような日本人の好きなぼんやり感に通じる。
- どの絵も大きすぎず、日本の家でも飾れるサイズで、日本人の身体感覚に合っている。
- 絵にある余白に、時間の止まったような静謐感が感じられる。
『窓辺で手紙を読む女』は、修復前は絵の上部が「余白」のような空間だったのに、キューピッドの画中画がそこに現れ、絵全体の3分の1ほども占めることになった。フェルメール本人が完成させた状態に戻ったわけだが、五郎さんにとっては初めて実物を目にしたフェルメール作品で思い入れがあり、これまで画中画のない状態に慣れ親しんできたために、「時間が止まったような静謐感がなくなっちゃうよ」と嘆く。確かに、画面がごちゃごちゃしてしまったような…。
キューピッドのいない修復前の作品の複製を作って、日本で公開されるときに「修復前はこうでした!」と横に並べて展示したら、どちらの方が好きかという議論が白熱して面白いかもしれない。