アイルランドではバスタブのない家が珍しくないくらいだ。もちろん、お湯の温度の調節や追い焚き機能のような気の利いたものはない。わが家にはバスタブはあるが、浅めだが無駄に大きいためにお湯を張るのに時間がかかり、ためているそばから少しずつ冷めていってしまう。

湯船に浸かっているあいだにお湯はさらに冷めていく。そこで私はある日、熱湯の入った電気ケトルをバスタブの脇に置いて、お湯を継ぎ足せるようにしてみた。何もしないよりはましである。しかし、数年前の誕生日にこれをしたとき、ケトルのお湯を誤って自分の太ももにかけ、火傷をしてしまった。ああ情けない。すぐに冷やしたが何日も患部がヒリヒリしたし、火傷の跡が完全に消えるまで何年もかかった。

これに懲りて以来、自宅では冬でもシャワーで済ますことにしている。

しかしもちろんたまには湯船に浸かって極楽気分に浸りたい。ではどうするか。旅先でお風呂に入るのである。「バスタブがあるかどうか」が私が宿泊先を選ぶ際の第一条件だと言っても過言ではない。

先週、イングランドのサマーセット州のバースに3泊、ロンドンに3泊してきた。バース Bath でお風呂 bath に入れたら洒落にもなっていいと思ったのだが、ロンドンの宿泊先には立派なお風呂があることがわかっていたので、バースのホテルは価格と立地重視でシャワーのみ。その代わり、というわけではないが、ローマ浴場博物館 The Roman Baths でローマ時代の温泉保養施設を見学してきた。何と言ってもバースはイギリスで唯一、天然の温泉源泉が湧出する土地なのだ。

エアリンガス航空で20ヶ月ぶりの海外旅行。この航空機(私たちが乗ったのとは別)にはアイルランドのラグビー選手のデザインが。

行きのダブリン空港で、日本のラグビー選手たちを発見!20名ほどがお昼ご飯を食べていました。ちょうど前日の11月6日にオータムネーションシリーズでアイルランドチームと対戦、60対5でアイルランドの圧勝。会場のアヴィヴァスタジアムは新型コロナ予防のワクチン接種会場だった場所で、私もここで2回接種した。日本チームの次の試合は11月20日のエジンバラでのスコットランド戦です。

バースで泊まったZホテルはどの観光名所にも近い好立地。ロンドンでも系列のホテルがいくつかあり、どれも立地、設備ともによく、部屋が狭い分お手頃価格なので次にロンドンに行くときに泊まるかも。

古代ローマの公衆浴場跡、ローマ浴場博物館 The Roman Baths(写真右)はバース観光の中心。左はバース寺院 Bath Abbey。

大浴場 Great Bath を囲む建物やテラス部分はローマ帝国時代ではなく後世に建てられたもの。このテラスからオーディオガイドの案内が始まる。

ローマ人より前にこの地に住んでいたケルト族は、泉の女神スーリス Sulis を崇めていた。そこにやってきたローマ人は、ローマ神話の女神ミネルヴァ Minerva とスーリスを同一化し、泉の北側に女神を奉る神殿を建て、南側に浴場を造った。西暦75年にはすでに建造されており、5世紀初めにローマ人が撤退するまで、この地はローマ帝国時代の一大保養地だったという。

石の貯水槽でもあった聖なる泉(神殿泉) Sacred Spring には、女神スーリス・ミネルヴァへの奉納(ほうのう)物を礼拝者たちが投げ入れたことが発掘調査から明らかになっている。宝石類や硬貨などの捧げものが発掘されているが、薄い鉛の板も約130枚見つかった。これは、罪を犯した者に罰を求めた、呪いの願い事を書いたものだという。いったいどんな罪だったかというと…。

  • ‘‘The person who has stolen my bronze pot is utterly accursed.’’ 「私の青銅の壺を盗んだ者は徹底的にのろわれる。」
  • ‘‘Theft of a pair of gloves: Docimedis says the thief should lose his mind and his eyes.’’ 「…手袋を盗んだ者は発狂し目も失うべし…。」

なんと、盗っ人を非難し罰を求める言葉。殺人などの罪ではない。しかも、盗まれたものの中で高価なものは「6枚の銀貨」くらいで、ほかの多くには入浴中に衣服や装飾物を盗んだ相手をのろう言葉がしたためられている。

この時代、公衆浴場での盗難は頭の痛い問題だったらしい。鍵つきロッカーなどなかったでしょうからね。モノがあふれかえり代用品が簡単に見つかる現代と違って、当時は身の回りのもの一つひとつが貴重だったから、思い入れの深いものがなくなったときの怒りは大きかったのだろう。裕福であれば奴隷に入浴中に持ち物を見張らせていただろうが、私のような裕福ではない人も入浴に来ていたわけだ。

博物館では浴場に入ったりお湯を飲んだりすることはできないが、浴場跡や神殿跡、出土品などの展示はとても充実している。日本語オーディオガイドを聴きながら歩き回り、古代ローマ人を身近に感じたあっという間の数時間だった。

大浴場の周りでは、当時の格好をした役者たちが雰囲気を醸し出しています。

お土産ショップで買った軽石。イギリスには火山はないので輸入モノに違いない。紙袋のデザインは、神殿にあったゴルゴンの頭部のレリーフ。

バースの他の見どころでサイエンス好きな夫と音楽好きな私の両方が気に入ったのは、ハーシェル天文学博物館 Herschel Museum of Astronomy。ドイツのハノーファー(ハノーヴァ―)Hanover 出身のウィリアム・ハーシェル(1738‐1822)が兄のアレクサンダーと妹のカロラインと住んだ家が博物館になっている。

ハーシェル兄弟はバースで音楽を教えて生計を立てていたが、天文観測が趣味であり、ウィリアムはこの自宅の庭で天王星(Uranus)を発見した。ウラヌス Uranus はローマ・ギリシャ神話の天空神(天そのものの神格化)。英語だとユーラナスに近い発音。

2階の音楽室。居間や台所などもほぼ18世紀後半当時の状態で復元されている。30分ほどのビデオガイドでは、妹のカロラインに扮した役者が女性の視点で当時の生活や仕事ぶりを紹介してくれる。声楽家として成功していた彼女は兄の助手として天文観測を行い、自らも星雲やすい星を発見するなど数々の功績を残したそう。

ウィリアムが自分で設計して作った2メートル強の大きさの望遠鏡の複製。

The female philosopher smelling out the comet, R. Hawkins, 1790 (British Museum, Public domain, via Wikimedia Commons)18~19世紀にかけてイギリスでは銅版画の技術の確立とともに風刺画(カリカチュア)が隆盛し、カロライン(1750‐1848)が新しいすい星をいくつも発見していた1790年、女だてらに天文学の研究など、と風刺画の題材にもされた。

以下はビデオガイドの中のカロラインのセリフ。「ハッシュタグ」などの現代用語も使って話しかけてくれるので飽きない。

… when William made his discovery, he was an immigrant, a musician, stargazing as a hobby in his back garden with a home-made telescope! And there were never any cartoons poking fun at him. #JustSaying.ウィリアムが天文学上の発見をしたときには、誰も風刺漫画で彼をばかにするようなことはしなかった。彼ときたら、移民で、音楽家で、家の裏庭で自分で作った望遠鏡を使って、趣味で天体観測をしていたというのに!#(ハッシュタグ)『ただ言ってみただけ』。

バースの街は魅力的なカフェやブティック、お店であふれている。その中の一つ、本屋の Mr B’s Emporium は特に個性的なセンスが光っていた。

バスタブがおしゃれな陳列棚に変身。

この日誕生日だった夫はまだ読んでいないSFの名作を物色し、店員に勧められたアーシュラ・K・ル=グウィン Ursula K. Le Guin の『The Dipossessed(所有せざる人々)』(1974)を自分へのプレゼントとして買ってご満悦だった。