コーヒー飲み友だちのノーラが、英語に翻訳された日本の本を今読んでいると言う。「数年前に日本でベストセラーになったみたいよ」というその本のタイトルは、Before the Coffee Gets Cold。後で調べたら、川口俊和さんの『コーヒーが冷めないうちに』という作品だった。

ノーラとは以前、私の勤め先でボランティアをしていた縁で知り合った。月に一度くらいコーヒーを飲みながらおしゃべりをする関係がここ10年ほど続いている。ロックダウン中はビデオ通話だったが、ここ数ヶ月は以前のようにダブリンのいろいろなカフェで会っている。

私より一世代年上の彼女は、独身で一人住まい。博識だが決して知識をひけらかさず、人の話を聞き出すのが上手で、自らも話し上手だ。映画、読書、観劇、合唱、旅行と趣味が豊富で、太極拳を長く続けている。観たい芝居やコンサートがあればロンドンなどにも一人で行って、あとで面白おかしく旅の報告をしてくれる。2、3年前には太極拳仲間の数人とウクレレを習い始め、ロックダウン中も何とか続けていた。このバイタリティと好奇心を彼女の歳になっても持ち続けることが私の目標である。

日本では友だちといえば同世代の人たちに限られていた。歳が離れていると日本語ではどうしても改まった言葉遣いをしてしまい、それが邪魔をしてなかなか打ち解けられないのかもしれない。アイルランドではノーラのように、むしろ歳の離れている友人の方が多いし、こちらで知り合う日本人なら日本語でもあまり年齢や社会的立場を気にせず話せる気がする。

今回は、ダブリン郊外のラスファーナム Rathfarnham という町のカフェでノーラと元同僚のショーンの3人で会った。数年前に定年退職をしたショーンとはときどき職場の集まりで会っていたが、最近は関節炎に悩まされて遠出が難しいため、私の方から年に数回彼の方に出向いている。ノーラとショーンが顔を合わせるのは数年ぶりだ。

ラスファーナムの目抜き通りにある The Studio Café は50年も営業している老舗のカフェ。店内の大きな鏡にはアイルランドの文学者の名前や似顔絵がデザインされている。頼んだ水のボトルにはダブリン出身の作家オスカー・ワイルドが。

ノーラが『コーヒーが冷めないうちに』の本の内容をショーンと私に説明してくれる。ある喫茶店のある席に座ると、過去や未来にタイムトラベルできるという話。自分ならいつどこにタイムトラベルしたいかと盛り上がる。ショーンは「クリスマスやイースター(復活祭)などの家族でいっしょに過ごした時期」と即答するが、ノーラや私はなかなか決められなかった。

川口俊和さんはもともと自分の劇団の戯曲として『コーヒーが冷めないうちに』を書いたそうだ。2010年に初演され、本人がのちに小説化し、シリーズにもなっている。家に帰ってからノーラにそのことを伝えると、「もともと脚本だったから、何だかぎこちない文章だったのね。翻訳作品だからだと思ってた」と返事が返ってきた。

YouTubeで著者本人が配信している動画で舞台公演を観てみた。

舞台だからでこそ「タイムトラベルは、コーヒーが冷めない間の短時間のみ可能、そして場所は喫茶店から移動できない」という設定が活きていて面白い。私は大学時代に劇団に入っていて、よく他の劇団の芝居も観に行っていたので、小さめの劇場の芝居を観ること自体が懐かしい。思いがけなく面白い作品に出会うきっかけを作ってくれたノーラに感謝だ。

この作品に出てくるような正統派の喫茶店に行きたくなった。ダブリンにも落ち着けてケーキやコーヒーのおいしいカフェはいくつかあるのだが、去年、今年でつぶれてしまったところもある。ノーラと次はどこのカフェに行こうか。

『コーヒーが冷めないうちに』の芝居を観て、3年前に日本に一時帰国したときに行った西荻窪の喫茶店『それいゆ』を思い出した。一人で来て文庫本を片手にケーキとコーヒーを味わいたいお店。

同じく3年前に『三鷹の森 ジブリ博物館』に入っているカフェ『麦わら帽子』でカフェラッテを頼んだら、麦わら帽子を描いてくれた。