長年腕を酷使してきたせいか、去年からテニス肘のような症状に悩まされている。よくなってはきているが、ロックダウン緩和で職場に復帰するタイミングで、鍼灸治療を数回してみることにした。そのクリニックはダブリンのグラフトン通りの南端から徒歩で15分ほどのところにある。

コロナ禍で他人との接触をなるべく避けなければならないから、前後の患者とすれ違わないよう、予約時間ぴったりにクリニックに到着するように言われた。これがけっこう難しく、案の定20分も早く着いてしまったので、目の前にあるフィッツウィリアム・スクエア公園 Fitzwilliam Square で時間をつぶすことにした。

この公園には一度だけ入ったことがある。去年9月、2回目のロックダウンが始まるまさに前日、公園内で催された野外オペラを観に行ったのだ。

2020年9月18日、毎年恒例のカルチャーナイト Culture Night というイベントの一環で行われた小さな野外オペラ。主催はイタリア文化会館。『ラ・ボエーム』や『フィガロの結婚』などの有名な曲がアイルランド人のオペラ歌手により披露された。

コンサートは約20分間。一晩に数回行われ、観客は15人ずつというコロナ禍での催し。舞台となる公園の一角に、華やかさを出すために(?)往年のオペラ歌手をかたどったパネルが並べられていた。その中になぜかアイルランドの大統領マイケル・D・ヒギンズも(左から2番目)。

公園は四方をぐるりと黒い柵で囲まれている。入口になる門を探してみるが、今日はどう見ても閉まっている。

門の横に「プライベートコミュニティーガーデン」と書かれた看板が出ている。公園を管理しているのは Fitzwilliam Square Association という地域の団体らしく、「会員登録のお問い合わせ先」として看板にはメールアドレスが出ている。会員限定の公園であることに初めて気づいた。オペラで入園できたのは、特別に許可されたイベントだったからだろう。

フィッツウィリアム・スクエア公園は1792年に完成。1813年から、鍵を所有する者のみが入園できるようになったそうだ。ダブリンに5つ*あるジョージアン様式の公園の中で一番小さく3.7エーカー(約1万5千㎡)、そして、一般市民に開放されていない最後の公園である。

*ダブリンのジョージアン様式の公園は、セント・スティーブンス・グリーン St Stephen’s Green、メリオン・スクエア Merrion Square、マウントジョイ・スクエア Mountjoy Square、そしてパーネル広場にあるガーデン・オブ・リメンブランス The Garden of Remembrance と、このフィッツウィリアム・スクエア。

公園の中央に平たんな芝生のエリアがあり、それを囲う木立の中に小道が通っている。柵のあいだから見える小道には人気(ひとけ)がないが、ベンチに座って本を読んでいる人が一人だけ目に入った。あの人は会員に違いない。

どういう人が会員になるんだろうと気になって、管理団体のウェブサイトをのぞいてみる。会員の条件としては、公園を四方に囲む道沿いに建ち並ぶ69棟の建物(住所が Fitzwillliams Square の〇番地でなければならない)の所有者、あるいはテナントでなければならないようだ。会費は、建物の丸一軒であれば年会費950ユーロ(つまり10万円以上)、建物の一部を借りている商業テナントは550ユーロ、一部を住宅として借りているテナントは350ユーロとなっている。ここ以外に居を構えた機関や個人も年間100会員までは認めているそうだ。ただし今年はもう定員に達しているそう。

お金さえ出せば誰でも会員になれるというものではないのだ。それがさらに敷居を高くしている。

野外オペラを主催したイタリア文化会館は公園の目の前の建物に入っているから、建物ごと、あるいはテナントとして会員になっているのだろう。サウジアラビア大使館も公園の目の前にある。私の行く鍼灸クリニックなど医療機関も多いが、みな、会費を払って、与えられた鍵を使って公園に出入りしているのだろうか。ランチの後に軽く腹ごなしの散歩をしたりして、限られた人しか吸えない新鮮な空気を思う存分吸い込んでいるのだろうか。

調べてみると、このフィッツウィリアム・スクエア公園を一般市民に開放するよう、ダブリン市議会が過去に何度か管理団体にアプローチしてきたそうだ。だがその都度断られてきたらしい。200年続いている伝統を頑なに守ろうとする中心メンバーがいるのだろう。

コロナ禍で、メンタルヘルス(心の健康)にスポットライトが当てられるようになった。自然とふれあい、身体を適度に動かすことで、うつや不安、孤独感などのメンタルヘルスを改善できると言われている。ロックダウンで外出制限が一番厳しいときでも、適度な運動を行うために自宅から半径5キロまで外出することは認められてきた。

住宅が密集する地域やオフィス街では、開放された空間、木々に囲まれた緑の空間はとても貴重だ。そこに一部の限られたエリートだけしかアクセスできないというのは、この公園ができたご時世には当たり前だったのだろうが、今の時代にはとてもそぐわない。

こういう時代の要求を受けて、公園が開放される日も近いと感じる。

公園の周囲をジョージアン様式の建物がぐるっと囲っている。18世紀に発達したこの建築様式は、直線的、左右対称を基本としたシンプルな構成で、イギリス集合的住宅の基礎として普及したそうだ。日本の長屋は平屋建てが中心だが、こちらは縦長に発展し、3階建てから5階建て(半地下の階も入れて)が多い。公園を囲んで建てられている界隈は、四角形をしていることからスクエアと呼ばれるようになったそうだ。

昔この公園の周囲に住んでいた著名人、知識人の中には、アイルランド国立美術館 The National Gallery of Ireland の創立者ウィリアム・ダーガン William Dargan(1799‐1867)がいる。その美術館に数多くの作品が収められている画家のジャック・B・イェイツ Jack B Yeats(1871‐1957)も、公園の南東の端にある建物に住んでいた(私の行く鍼灸クリニックの数軒先)。彼は詩人・劇作家 W・B・イェイツの弟である。