なかなか抜けないおじぎ癖
アイルランドに住むようになって何年も、ついおじぎをしてしまう癖が抜けなかった。車が私に道を優先してくれようなときも、反射的にぺこりと頭を下げて感謝の意思を伝えていた。
あとになって「おじぎではなく手を挙げるべきだったのでは」と思い当たる。でも日本に生まれ住んで30年もしてからアイルランドに移り住んだので、おじぎは体に染みついてしまって、なかなか抜けないのだ。
最近は、車に向けて軽く手を挙げて、「サンキュ」と口パクで言うことができるようになった。軽くおじぎをする「会釈」ではなく、相手に向かって首をさっと振って「うなづく」くらい。こちらで普通のリアクションができるようになって、ちょっとうれしい。
アイルランドでも日本人と別れ際におじぎ合戦になることがある。「今日は本当にありがとうございました」「いえ、また今後もお願いいたします」「こちらこそ、ではまた」「雨が降り出しそうですからどうぞお気をつけて」「あ、そうですね、では失礼します」と、おじぎをして後ずさりしながら別れていく…。
アイルランドでは滑稽であろう光景を目撃した非日本人の同僚や友人は、「日本人って本当におじぎするんだねえ」と目を輝かせ、「何回すればいいの」「角度はどのくらいか決まってるの」と聞いてくる。おじぎって何回するか決まっているものではないですよね? 一定のテンポで何回も頭をタテに揺らしている気がする。角度も、15度、30度、最敬礼は45度というのが通説だが、特に意識したことがない。
一度だけ、アイルランドでも深々と最敬礼にあたるおじぎをしたことがある。これも、しようと思ってやったわけではなく、周りの日本人につられて、そして無意識の行動だった。
2005年5月、当時の天皇皇后両陛下がアイルランドを訪問された。アイルランド政府が迎賓館やギャラリーとして使っているファームリー・ハウス Farmleigh で立食パーティーが開催され、日本人駐在員とそのパートナーなどの多くが招かれた。私も何と招かれてしまい、おっかなびっくりで会場に到着。「天皇皇后両陛下がこれからお見えになります。みなさんどうぞお一人ずつお話しになってください」と日本大使館の人(おそらく)からアナウンスがある。え、直接お話ししちゃっていいの? その場にいた日本人は皆、大興奮。ワインなど飲んでいる場合ではない。
天皇皇后両陛下が現れると、お二人の前それぞれに列を作り、本当に一言ずつ声をかけていただく。並んで待っている間ふと周りを見渡すと、日本人ではないゲストの多くは、気楽にドリンクを飲んだり歓談したりしている。最後に両陛下が退場されるとき、おそらく私を含めほとんどの日本人は、最敬礼でお姿が見えなくなるまで見送った。その様子を彼らはどう眺めていただろうか。
のちにこの体験をアイルランド人の友人や夫に話すと、「アイルランドではそんなに大げさに(?)改まって接さないといけない人はいない」と口をそろえた。それは王室がないからではと思ったが、長年イギリスの支配下にあった歴史を持つアイルランド人には言えない。
でもアイルランドには大統領と首相がいる。その中でも任期期間が7年と長く、国民から尊敬されている大統領に会うことを考えたらどうだろうと聞いたら、「大統領だってそんなにかしこまって話す必要はない」とのこと。アイルランド人は概してフレンドリーで、誰とだって軽口を叩いて会話を楽しむことが好きなのだ。ふーむ。