うちのダンナとうちのカミさん
アメリカの刑事ドラマ『刑事コロンボ』シリーズ、こちらで見られるイギリスのテレビ局でランダムに再放送してくれるので、よく見ている。
このコロンボというのは名字なのだが、シリーズを通して彼の下の名前が明らかにされることはない。もう一つのミステリーは、そう、彼がいつも「うちのカミさん」と呼ぶ奥さんの実態。
英語では my wife と彼は言っているのだが、日本語吹き替えの翻訳は「うちのカミさん」というのは有名な話。一昔前の制作だから、「家内」や「連れ合い」と訳すこともできただろうが、「うちのカミさん」は、冴えない風貌の中年コロンボが、一目置いているだろう奥さんのことを愛情をこめて話す様子にぴったり。コロンボはしょっちゅう他人に奥さんの話をするが、実際に奥さん役の人が出てきたことはシリーズを通して一度もないようだ。でも「妻」でも「家内」でもなく「うちのカミさん」と呼ばれていることから、コロンボ夫人の風貌や性格が何となく想像できるような気がする。
他人に男性の配偶者のことを話すとき、「夫」、「主人」、「うちの人」、「旦那」と、これまた日本語にはいくつもの呼び方がある。結婚してしばらく経ってみると、私は夫のことを日本人の友人には「うちのダンナ」と呼んでいた。少し改まった場や、メールやこのブログのような書き言葉では、「夫」を使う。
どうして友人と話すときは「うちのダンナ」がしっくりくるのだろう。着物の似合う体型で、人のいいお坊ちゃんのような、何か昔の呉服屋や旅館の若旦那のような風貌だから?
少し調べてみたら、第三者に配偶者のことを話すときのマナーには、各呼称の語源や使用の歴史が影響していることがわかった。
夫:「配偶者である男」という意味があり、公的な場を中心に使われているが、プライベートでも使える。対義語は「妻」で、両者は対等の関係を表しているとされる。
主人:「一家のあるじ、自分の仕える人」という意味がある。「夫」よりも敬意のこもったていねいな表現で、妻が配偶者を立てて呼ぶときや、第三者の配偶者である男性を敬意を込めて呼ぶときに使う。目上の人や、よく知らない人と話をするときには「主人」を使うのが無難とされているが、「主従関係」を示唆することから、最近は使用に疑問を感じる声も上がっているよう。
旦那:語源は「寺院に寄付寄進をする人、施主=檀那」だが、意味が転じて「お金を出してくれる支援者、パトロン」、そして「奉公人や被用者が主(雇用主)を呼ぶときの敬称」になっていった。男性配偶者に対して使うときは、もともとは相手を敬うニュアンスがあったが、最近ではカジュアルでくだけた表現になってきており、基本的には親しい友人知人に話をするときに使用されやすい。
なるほど、私が「ダンナ」と「夫」を使い分けていたのには、こうした各呼称のもつニュアンスの違いを無意識のうちに考慮していたからだろう。
では、私の夫がもし日本人だったら、あるいは日本語に堪能だったら、私のことを他人にどう話していただろう。ひょっとして「うちのカミさん」だったりして。